鈴木 さん 速報。 【速報】元欅坂46志田愛佳「花キューピット」新CMに登場!俳優・鈴木伸之さんと共演!

【速報】元欅坂46志田愛佳「花キューピット」新CMに登場!俳優・鈴木伸之さんと共演!

鈴木 さん 速報

練習で何か特別に意識してやったことはある?」 鈴木「変えなきゃという意識はなかったんですけど、長い距離を走り込む中で、自然とそういう(跳ねるような)動作は少なくなったかな……。 反面、MGCではちょっとスピード感がなくなり、動きが小さくなっていました。 やっぱりマラソンでも、トラック種目の走りを生かしたいです。 (札幌へのコース変更で)オリンピック本番は高速化も予想されるので、もう一度自分の持っている特長を出せるようにしたいです」 鈴木「野口さんのダイナミックな走りで42.195キロを走りきるって、本当にすごいことだと思います。 すごく筋トレをやったことが注目されましたが、そこが一番のポイントですか?」 野口「そうだね。 あの私の(小柄ながらストライドの大きい)走り方は、『ハーフはもっても、42.195キロはもたない』とマラソンを走る前にいろんな人から言われたけど、『いや、そんなことはない』と思った。 それでも走りきれたのは、ウェートトレーニングや補強、動き作りがあったからこそ。 最初の何戦かは、推進力にならない走りだと感じていた。 それがだんだん、アテネオリンピック、翌2005年のベルリンマラソン(現在の日本記録を樹立)、07年の東京国際女子マラソンと、改善されていった。 以前は滞空時間が長かったけど、東京では道路と足が友達になるような、自分の理想のフォームになった」 走るのは自分。 1人で練習し、ホテルで泣いた(野口) 野口みずきさん 野口「鈴木さんはMGCまでの練習で、一番多い時期は月間どのくらいの距離を走ったの?」 鈴木「950~960キロくらいですね。 初マラソン前は1000キロを超えた時もありました。 野口さんは、1200キロくらい走られていたんですよね?」 野口「アテネの前は、月に1350キロは走った」 鈴木「桁が違う……。 故障の不安はなかったですか?」 野口「不安を持ったら、きりがないよね。 でも、故障しない努力だけはしていた。 ヨーロッパの選手が、走り終わったら近くの小川に入ってアイシングしていた。 それを見て、そういう環境は自分で作ろうと、バスタブに水をためて氷を入れたりしていた」 鈴木「当たり前のことを、ちゃんとやるっていうことですよね」 野口「練習ですごく疲れると、それができなかったりするよね。 1人になる時間が長くなるほど、自分の弱い気持ちとの闘いでもあった」 鈴木「練習はいつも1人でしたか?」 野口「そう。 走るのは自分なので、できるだけ何かに頼らずやりたかった。 練習や生活で逃げ場がなくなってしまうけど、それがレースに生きると思って。 追い詰められて、ホテルの部屋でシクシク泣いた。 でも、次の朝はもうケロッとしていた。 1人で思い切り泣くのが、つまずいた時の対処法だった」 野口「いつも練習でコーチと一緒に走っていた私が、1人で練習するようになったのは、2003年1月に、合宿地が同じだった土佐礼子さんと渋井陽子さん(2人は野口さんとは別のチームに所属)が、全く同じ練習メニューなのに別々に走っていたのを見たのがきっかけ。 『結局、レースでは1人なんだから、自分を変えよう』と思った。 それからはずっと1人。 殻を破って、だいぶ自分が変わった」 鈴木「私は逆に、今までの2戦では(マラソンの練習を)全部自分1人でやってきたんですけど、今度のアルバカーキ(アメリカ)合宿では、一緒に走ってくれる人をつけてみようと。 これまでは、もっと最初から速いペースで入れるのに、慎重になる部分があって自分でストップをかけていました。 その影響なのか、MGCでは今ひとつスピードに対応できないところがあったんです。 人にペースを作ってもらえば、練習中に苦しくなっても、もっと先に行けるかもしれない。 そういう練習に1回、合宿でトライしてみたい。 伸びしろは(自身には)たくさんあると思っているので、覚悟を持ってやるしかないです」 野口「なるほど、私と正反対だね。 こういう違いは面白い」 緊張しないほう。 自国開催で、プレッシャーも当然高まってくると思うが。 鈴木「本当にたくさんの方が期待してくださっていて、注目度がトラック種目とはまた違うなというのを、すごく感じています。 それを力に変えたいと思っています。 野口さんは、プレッシャーに強いほうですか?」 野口「最初は、マスコミにすごく注目されて取材などが多くなるのが、すごくうれしかった。 『どんどん、見て!』みたいな感じ。 アテネオリンピックの時はよかったと思う。 でも、アテネで金メダルを取った後、注目度がまたどんどん上がった。 北京オリンピックの直前は、もう過緊張の状態だった。 前回女王の重圧があって、マスコミの皆さんに失礼な態度をとったこともあった。 練習でも、普段とは違って坂ばかり走るとか、やらなくていいことをやっていた。 そんなことが積み重なってケガにつながり、代表には選ばれたけど、欠場した」 鈴木「なんだか分かります、そういう気持ち。 私はリオデジャネイロが初めてのオリンピック(5000メートルに出場して予選24位で敗退、1万メートルは故障で欠場)。 実感がわかず、がむしゃらにやるだけでした。 子供の頃から、そういう部分があるんです。 自分の足元を見ずに、先の先ばかり見て、故障という結果を招いてしまいました。 普段できることを積み重ねる、その先にオリンピックがあるってことを、理解できていませんでした」 野口「難しいんだよね」 鈴木「練習はもっとやりたいし……」 野口「そうだよね、やりたいんだよねぇ。 神経が張り詰めた状態も大事だけど、それだけじゃ壊れちゃう。 亜由子ちゃんにとって、2020年東京オリンピックのマラソンは(リオオリンピックと)また別物と思うけど、トラック種目で1回オリンピックは経験しているんだから、ドシンと構えてね。 そう思うくらいで、どう?」 鈴木「はい。 たぶん、もともと緊張しすぎるほうじゃないとは思うんです。 いやぁ、そうでしたか。 鈴木「あ、でも、言われたり書かれたりしているうちが花だなって、本当に思います。 競技に集中したいなとは思うんですけど、取材を受けてそれが記事になると、『あぁ、やっぱりよかったな』とも思います。 感謝の気持ちはすごくあるので、その素直な気持ちを伝えていけば、きっと皆さんも応援してくださいますので、それを自分の力に変えたいです。 そこで、過去のオリンピック女子マラソンが行われた時の気温をまとめた参考資料を用意しました。 鈴木「アテネ、すごい高さですよ!」 野口「そう。 『痛い暑さ』だった」 鈴木「それなのに、野口さんは、あまり水分補給を取らずに走るんですよね。 暑熱対策を勉強した時、過去の走者の飲んだしぐさとか秒数で、どれだけ飲んだかが分かるっていうデータがありました。 野口さんはすごく少なかったんです」 野口「すごい、そんなことが分かるんだね。 そうなの。 私はもともと取りすぎるとよくないっていうか、オエッてなっちゃう。 1か所の給水はちゃんと取るけど。 暑熱対策としては、熱がこもるのが嫌だからウェアを短くしたり、ゼッケンに切り込みをたくさん入れてメッシュみたいな感じにしたり。 それから、集団の中で走ると周りの選手の熱気を受けるし風も来ないから、一番前で走りたいって感じていた。 それが(アテネでも)良かった。 スパートのタイミングでも、前にいたから出やすかったし」 鈴木「あの時、20キロ台でスパートをかけたんですよね」 野口「うん、25キロ。 27~28キロでまたもう1回。 上り坂の直前から2段階スパートをかけた。 ウォーミングアップ後、走る直前に所属チームの監督から指示されたの」 鈴木「本当に直前ですね。 (レース中盤からロングスパートをすることに)怖さはなかったんですか?」 野口「あったよ、もちろん。 『えっ、マジで?』みたいな。 でも、1日前とかにそれを伝えると、私が考え過ぎてしまうからっていうことだったみたい。 で、実は私、10キロくらいであまりにも暑かったし、風邪も引いていたから、戻しそうになっていたの」 鈴木「えーっ!」 野口「実際には、戻してないよ。 各国のテレビカメラが回っていて、集団の一番前で走っている私が戻しちゃったら、『これライブだし、映像使用できないぞ。 うわぁ、我慢しないと』なんて思っていた。 それを我慢できてからは、吹っ切れた。 25キロでスパートしろという指示にも『もう、いいか。 私は北京の後、ロンドンもリオデジャネイロも、取りつかれたように何度も(オリンピックに)挑戦した。 一度しか走れなかったけれども、オリンピックには、そういう魅力がある」 鈴木「なぜ何回も挑戦し続けたのでしょうか?」 野口「(トップで競技場に入って)歓声をいっぱいに受けてゴールする、あの瞬間っていうのは、いいよぉ」 鈴木「オリンピックのゴールに飛び込む瞬間ってどういう感情なんだろうって、やっぱり夢見てきました。 (開催地の札幌変更に伴い)競技場がゴールではなくなったけど、(オリンピックでの道路のゴールは)また別のものなので『どうなのかな?』って、ワクワクした気持ちを持って臨めます」 野口「札幌の沿道には、絶対にたくさんの人が応援に来ると思う。 それを楽しみながら走ってほしい」 鈴木「初マラソンだった2018年北海道マラソンで優勝したので、札幌にはいい印象がありますね。 (東京と比べて気温が低く)自分のスピードが生きるかもしれない。 野口「やっぱりグッと来ますよね。 アテネは夜のレースだったから、表彰式は翌日だった。 『絶対泣かない。 セレモニーを楽しむぞ!』と思っていたんですけど、国旗がひゅーっと揚がって、君が代が流れた時は、こみ上げてくるものがあった」 鈴木「私、レース直後のインタビューで、野口さんがシューズを持って『幸せです』と言っている時の表情が忘れられなくて」 野口「でもあれはね、そんな人様にグッと(感動を)与えるようなものではなくて。 本当はね……」 鈴木「あっ、私、聞いていいのかな? 感動が薄れちゃったらどうしよう」 野口「アハハ、ごめん、ごめん。 何か流行語大賞になるようなコメントでも出そうと思っていたのに、(体が)きつすぎて。 『幸せです』って言った直後に私、戻しちゃって、タンカで医務室に運ばれているの」 鈴木「あの時、吐き気をこらえていたんですか? 表情を見ていて、何とも言えない充実感なのだろうなと、私は感じたんです」 野口「それはあったよ」 鈴木「ありましたよね? じゃあ、よかった」 野口「本当に何とも言えない……。 でも、一番の宝物はやっぱり表彰台よりもゴール手前、競技場に入って歓声を受けた瞬間。 この瞬間を、もっと味わいたいと思った。 1年間準備してきたものが、目の前のテープを切った瞬間に終わると思うと、悲しくてさみしくて。 ゴールしたくなかった」 鈴木「それはもう、感じたことがある人にしかわからない……」 野口「感じてね!」 鈴木「感じたいです! 野口さんのお話を聞いて、変なプレッシャーを感じずに、オリンピックに向けて楽しみながら、自分のやるべきことに取り組むのが大事なのかなと感じました。 特別な大会に出られる喜びを持って臨みたいなと、すごく感じました」 野口「マラソン3戦目が東京オリンピックかぁ。 すごい。 私はアテネが4戦目だった」 鈴木「あ、そんなに変わらないんですね。 よしよし。 やるしかないです!」 談笑する鈴木亜由子(左)と野口みずきさん(2019年12月、読売新聞東京本社で) すずき・あゆこ リオデジャネイロ五輪5000メートル、1万メートル代表(1万メートルは欠場)。 愛知・時習館高から進んだ名大で世界ジュニア5000メートル5位、ユニバーシアード1万メートル優勝。 2018年北海道マラソンを2時間28分32秒で制し、MGCは2時間29分2秒で2位。 愛知県出身。 のぐち・みずき 2004年アテネ五輪女子マラソンで金メダルに輝き、05年ベルリンで2時間19分12秒の日本記録をマークした。 08年北京オリンピックは故障欠場。 世界選手権は03年パリ大会で銀メダル。 16年に引退し、現在は岩谷産業アドバイザーを務める。 三重県出身。

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[B!] メルカリ転売ワイ、売れまくりで大忙し! : 鈴木さん速報

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出典: 名前:鈴木 蘭々(ずずき らんらん) 本名: 鈴木 智子 (すずき ともこ) 生年月日: 1975年8月4日 出身地: 東京都練馬区 血液型: A型 東京都の練馬区に3人兄弟の末っ子として生まれた鈴木蘭々さんは、 中学1年生の時に原宿に来ていたところをスカウトされ、芸能界に入っています。 1989年には本名の鈴木智子として資生堂「エクボ」のCMでデビュー。 同年には「第1回ミスチャンピオン」の準グランプリにも選ばれました。 デビュー当時は美しい長髪を生かし、CMや表紙モデルとして活躍。 1993年頃からドラマやバラエティ番組に出演し、コントにも挑戦しています。 また1994年より子供番組『ポンキッキーズ』には歌手の安室奈美恵さんと共演。 2人で「シスターラビッツ」というコンビを組んで出演し、一躍注目を集めました。 出典: 2000年頃からは舞台やドラマ出演などを中心に女優として活動。 数々の舞台に代役として出演しており、演劇界では「代打女優」と言われています。 鈴木蘭々の2人の兄について!長兄は逮捕・次兄は死去 鈴木蘭々さんは 次兄が26歳という若さで亡くなっていたことを明かしています。 そのお兄さんは生まれつき軽い知的障害を持って生まれていたそうで、 「なんでこんなことができないのって言ったこともあった」と回顧しています。 そして当時18歳だった鈴木さんが仕事に専念するため一人暮らしを始めた2日後、 「母が15分ぐらい買い物に出たとき、 心筋梗塞で亡くなっていた」と死因を告白。 そして「誰も兄を看取れなかった」と振り返り、悔いていたそうです。 出典: お兄さんが亡くなってからというもの鈴木さんはますます仕事に奮闘するように。 すると、不思議なことに次々とオーディションに受かるようになり、 その頃にブレイクのきっかけとなった「ポンキッキーズ」への出演も決まっています。 そして兄の死から20年以上が経ちますが、兄のことは1日も忘れた事はないそう。 今では後悔から、感謝の気持ちに変わったと語っています。 鈴木蘭々の兄は逮捕されていた そんな鈴木蘭々さんのもう1人のお兄さんが 2011年に逮捕されていたことが判明。 逮捕の理由は総務省の許可を受けずに自宅内で ミニFM局「FM百草」を開設したこと。 実は中学3年のころから 無許可のFM放送を開始していたというお兄さん。 次第に機材を本格化させ、99年頃からは週末にミニFMでJ-POPや演歌など1万曲を用意。 「DJすーさん」と名乗り、メールでリスナーから募った曲をかけていたといいます。 調べに対し、「リスナーの反応がうれしくてやめられなかった」と供述しています。 出典: 妹の蘭々さんは当時、オフィシャルサイトで『混乱しています』と兄を非難。 その後、謝罪しますが、実は 自らも出演していたということが判明しています。 そして所属事務所も『兄の無線機の前で話したことはあった』と認めており、 批判の矛先はたちまち鈴木蘭々さん本人に向くことになってしまいました。 鈴木蘭々の現在は? 兄の逮捕などがあり、一時期から「消えた?」と言われていた鈴木さん。 テレビに出る機会は減っていますが、今も変わらず仕事は続けているようです。 2013年には芸能生活25周年を迎え、12月に 記念ライブを開催。 また劇団「三ツ星キッチン」による 「Tomorrow」では主演を務めていました。 知念里奈さんと遠山景織子さんとともに登場し、話題になっていました。

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【速報】元欅坂46志田愛佳「花キューピット」新CMに登場!俳優・鈴木伸之さんと共演!

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練習で何か特別に意識してやったことはある?」 鈴木「変えなきゃという意識はなかったんですけど、長い距離を走り込む中で、自然とそういう(跳ねるような)動作は少なくなったかな……。 反面、MGCではちょっとスピード感がなくなり、動きが小さくなっていました。 やっぱりマラソンでも、トラック種目の走りを生かしたいです。 (札幌へのコース変更で)オリンピック本番は高速化も予想されるので、もう一度自分の持っている特長を出せるようにしたいです」 鈴木「野口さんのダイナミックな走りで42.195キロを走りきるって、本当にすごいことだと思います。 すごく筋トレをやったことが注目されましたが、そこが一番のポイントですか?」 野口「そうだね。 あの私の(小柄ながらストライドの大きい)走り方は、『ハーフはもっても、42.195キロはもたない』とマラソンを走る前にいろんな人から言われたけど、『いや、そんなことはない』と思った。 それでも走りきれたのは、ウェートトレーニングや補強、動き作りがあったからこそ。 最初の何戦かは、推進力にならない走りだと感じていた。 それがだんだん、アテネオリンピック、翌2005年のベルリンマラソン(現在の日本記録を樹立)、07年の東京国際女子マラソンと、改善されていった。 以前は滞空時間が長かったけど、東京では道路と足が友達になるような、自分の理想のフォームになった」 走るのは自分。 1人で練習し、ホテルで泣いた(野口) 野口みずきさん 野口「鈴木さんはMGCまでの練習で、一番多い時期は月間どのくらいの距離を走ったの?」 鈴木「950~960キロくらいですね。 初マラソン前は1000キロを超えた時もありました。 野口さんは、1200キロくらい走られていたんですよね?」 野口「アテネの前は、月に1350キロは走った」 鈴木「桁が違う……。 故障の不安はなかったですか?」 野口「不安を持ったら、きりがないよね。 でも、故障しない努力だけはしていた。 ヨーロッパの選手が、走り終わったら近くの小川に入ってアイシングしていた。 それを見て、そういう環境は自分で作ろうと、バスタブに水をためて氷を入れたりしていた」 鈴木「当たり前のことを、ちゃんとやるっていうことですよね」 野口「練習ですごく疲れると、それができなかったりするよね。 1人になる時間が長くなるほど、自分の弱い気持ちとの闘いでもあった」 鈴木「練習はいつも1人でしたか?」 野口「そう。 走るのは自分なので、できるだけ何かに頼らずやりたかった。 練習や生活で逃げ場がなくなってしまうけど、それがレースに生きると思って。 追い詰められて、ホテルの部屋でシクシク泣いた。 でも、次の朝はもうケロッとしていた。 1人で思い切り泣くのが、つまずいた時の対処法だった」 野口「いつも練習でコーチと一緒に走っていた私が、1人で練習するようになったのは、2003年1月に、合宿地が同じだった土佐礼子さんと渋井陽子さん(2人は野口さんとは別のチームに所属)が、全く同じ練習メニューなのに別々に走っていたのを見たのがきっかけ。 『結局、レースでは1人なんだから、自分を変えよう』と思った。 それからはずっと1人。 殻を破って、だいぶ自分が変わった」 鈴木「私は逆に、今までの2戦では(マラソンの練習を)全部自分1人でやってきたんですけど、今度のアルバカーキ(アメリカ)合宿では、一緒に走ってくれる人をつけてみようと。 これまでは、もっと最初から速いペースで入れるのに、慎重になる部分があって自分でストップをかけていました。 その影響なのか、MGCでは今ひとつスピードに対応できないところがあったんです。 人にペースを作ってもらえば、練習中に苦しくなっても、もっと先に行けるかもしれない。 そういう練習に1回、合宿でトライしてみたい。 伸びしろは(自身には)たくさんあると思っているので、覚悟を持ってやるしかないです」 野口「なるほど、私と正反対だね。 こういう違いは面白い」 緊張しないほう。 自国開催で、プレッシャーも当然高まってくると思うが。 鈴木「本当にたくさんの方が期待してくださっていて、注目度がトラック種目とはまた違うなというのを、すごく感じています。 それを力に変えたいと思っています。 野口さんは、プレッシャーに強いほうですか?」 野口「最初は、マスコミにすごく注目されて取材などが多くなるのが、すごくうれしかった。 『どんどん、見て!』みたいな感じ。 アテネオリンピックの時はよかったと思う。 でも、アテネで金メダルを取った後、注目度がまたどんどん上がった。 北京オリンピックの直前は、もう過緊張の状態だった。 前回女王の重圧があって、マスコミの皆さんに失礼な態度をとったこともあった。 練習でも、普段とは違って坂ばかり走るとか、やらなくていいことをやっていた。 そんなことが積み重なってケガにつながり、代表には選ばれたけど、欠場した」 鈴木「なんだか分かります、そういう気持ち。 私はリオデジャネイロが初めてのオリンピック(5000メートルに出場して予選24位で敗退、1万メートルは故障で欠場)。 実感がわかず、がむしゃらにやるだけでした。 子供の頃から、そういう部分があるんです。 自分の足元を見ずに、先の先ばかり見て、故障という結果を招いてしまいました。 普段できることを積み重ねる、その先にオリンピックがあるってことを、理解できていませんでした」 野口「難しいんだよね」 鈴木「練習はもっとやりたいし……」 野口「そうだよね、やりたいんだよねぇ。 神経が張り詰めた状態も大事だけど、それだけじゃ壊れちゃう。 亜由子ちゃんにとって、2020年東京オリンピックのマラソンは(リオオリンピックと)また別物と思うけど、トラック種目で1回オリンピックは経験しているんだから、ドシンと構えてね。 そう思うくらいで、どう?」 鈴木「はい。 たぶん、もともと緊張しすぎるほうじゃないとは思うんです。 いやぁ、そうでしたか。 鈴木「あ、でも、言われたり書かれたりしているうちが花だなって、本当に思います。 競技に集中したいなとは思うんですけど、取材を受けてそれが記事になると、『あぁ、やっぱりよかったな』とも思います。 感謝の気持ちはすごくあるので、その素直な気持ちを伝えていけば、きっと皆さんも応援してくださいますので、それを自分の力に変えたいです。 そこで、過去のオリンピック女子マラソンが行われた時の気温をまとめた参考資料を用意しました。 鈴木「アテネ、すごい高さですよ!」 野口「そう。 『痛い暑さ』だった」 鈴木「それなのに、野口さんは、あまり水分補給を取らずに走るんですよね。 暑熱対策を勉強した時、過去の走者の飲んだしぐさとか秒数で、どれだけ飲んだかが分かるっていうデータがありました。 野口さんはすごく少なかったんです」 野口「すごい、そんなことが分かるんだね。 そうなの。 私はもともと取りすぎるとよくないっていうか、オエッてなっちゃう。 1か所の給水はちゃんと取るけど。 暑熱対策としては、熱がこもるのが嫌だからウェアを短くしたり、ゼッケンに切り込みをたくさん入れてメッシュみたいな感じにしたり。 それから、集団の中で走ると周りの選手の熱気を受けるし風も来ないから、一番前で走りたいって感じていた。 それが(アテネでも)良かった。 スパートのタイミングでも、前にいたから出やすかったし」 鈴木「あの時、20キロ台でスパートをかけたんですよね」 野口「うん、25キロ。 27~28キロでまたもう1回。 上り坂の直前から2段階スパートをかけた。 ウォーミングアップ後、走る直前に所属チームの監督から指示されたの」 鈴木「本当に直前ですね。 (レース中盤からロングスパートをすることに)怖さはなかったんですか?」 野口「あったよ、もちろん。 『えっ、マジで?』みたいな。 でも、1日前とかにそれを伝えると、私が考え過ぎてしまうからっていうことだったみたい。 で、実は私、10キロくらいであまりにも暑かったし、風邪も引いていたから、戻しそうになっていたの」 鈴木「えーっ!」 野口「実際には、戻してないよ。 各国のテレビカメラが回っていて、集団の一番前で走っている私が戻しちゃったら、『これライブだし、映像使用できないぞ。 うわぁ、我慢しないと』なんて思っていた。 それを我慢できてからは、吹っ切れた。 25キロでスパートしろという指示にも『もう、いいか。 私は北京の後、ロンドンもリオデジャネイロも、取りつかれたように何度も(オリンピックに)挑戦した。 一度しか走れなかったけれども、オリンピックには、そういう魅力がある」 鈴木「なぜ何回も挑戦し続けたのでしょうか?」 野口「(トップで競技場に入って)歓声をいっぱいに受けてゴールする、あの瞬間っていうのは、いいよぉ」 鈴木「オリンピックのゴールに飛び込む瞬間ってどういう感情なんだろうって、やっぱり夢見てきました。 (開催地の札幌変更に伴い)競技場がゴールではなくなったけど、(オリンピックでの道路のゴールは)また別のものなので『どうなのかな?』って、ワクワクした気持ちを持って臨めます」 野口「札幌の沿道には、絶対にたくさんの人が応援に来ると思う。 それを楽しみながら走ってほしい」 鈴木「初マラソンだった2018年北海道マラソンで優勝したので、札幌にはいい印象がありますね。 (東京と比べて気温が低く)自分のスピードが生きるかもしれない。 野口「やっぱりグッと来ますよね。 アテネは夜のレースだったから、表彰式は翌日だった。 『絶対泣かない。 セレモニーを楽しむぞ!』と思っていたんですけど、国旗がひゅーっと揚がって、君が代が流れた時は、こみ上げてくるものがあった」 鈴木「私、レース直後のインタビューで、野口さんがシューズを持って『幸せです』と言っている時の表情が忘れられなくて」 野口「でもあれはね、そんな人様にグッと(感動を)与えるようなものではなくて。 本当はね……」 鈴木「あっ、私、聞いていいのかな? 感動が薄れちゃったらどうしよう」 野口「アハハ、ごめん、ごめん。 何か流行語大賞になるようなコメントでも出そうと思っていたのに、(体が)きつすぎて。 『幸せです』って言った直後に私、戻しちゃって、タンカで医務室に運ばれているの」 鈴木「あの時、吐き気をこらえていたんですか? 表情を見ていて、何とも言えない充実感なのだろうなと、私は感じたんです」 野口「それはあったよ」 鈴木「ありましたよね? じゃあ、よかった」 野口「本当に何とも言えない……。 でも、一番の宝物はやっぱり表彰台よりもゴール手前、競技場に入って歓声を受けた瞬間。 この瞬間を、もっと味わいたいと思った。 1年間準備してきたものが、目の前のテープを切った瞬間に終わると思うと、悲しくてさみしくて。 ゴールしたくなかった」 鈴木「それはもう、感じたことがある人にしかわからない……」 野口「感じてね!」 鈴木「感じたいです! 野口さんのお話を聞いて、変なプレッシャーを感じずに、オリンピックに向けて楽しみながら、自分のやるべきことに取り組むのが大事なのかなと感じました。 特別な大会に出られる喜びを持って臨みたいなと、すごく感じました」 野口「マラソン3戦目が東京オリンピックかぁ。 すごい。 私はアテネが4戦目だった」 鈴木「あ、そんなに変わらないんですね。 よしよし。 やるしかないです!」 談笑する鈴木亜由子(左)と野口みずきさん(2019年12月、読売新聞東京本社で) すずき・あゆこ リオデジャネイロ五輪5000メートル、1万メートル代表(1万メートルは欠場)。 愛知・時習館高から進んだ名大で世界ジュニア5000メートル5位、ユニバーシアード1万メートル優勝。 2018年北海道マラソンを2時間28分32秒で制し、MGCは2時間29分2秒で2位。 愛知県出身。 のぐち・みずき 2004年アテネ五輪女子マラソンで金メダルに輝き、05年ベルリンで2時間19分12秒の日本記録をマークした。 08年北京オリンピックは故障欠場。 世界選手権は03年パリ大会で銀メダル。 16年に引退し、現在は岩谷産業アドバイザーを務める。 三重県出身。

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