飯島 愛 生い立ち。 飯島 愛 生い立ち

飯島愛の死因と真相!引退の本当の理由&生い立ちから死去まで総まとめ

飯島 愛 生い立ち

90年代から2000年代にかけて高い人気を博して、いまでも彼女のタレントとしてに才能を惜しむ人も多い飯島愛さん。 今の若いの人はもう彼女の存在を知らないようですね。 しかし今でも芸能界に残した功績は大きいと言われており、AV女優の社会的地位を上げた有名人としても知られています。 そんな彼女のプロフィールをまとめてみました。 名前:飯島愛• 別名義:大久保 松恵(本名)• 愛称:愛珍(あいちん)• 生年月日:1972年10月31日• 没年月日:2008年12月17日• 没年齢:36歳(数え37)• 出身地:東京都江東区• 死没地:東京都渋谷区• 血液型:A型• 身長:163 cm• 体重:43 kg• BMI:16. スリーサイズ:86 — 56 — 85 cm• デビュー:1992年• ジャンル:タレント・AV女優• モデル内容:ヌード• 活動期間:1992年 — 2007年 飯島愛の今後の活躍は?.

次の

飯島愛木村藤子が金スマで語った怖い二文字とは?引退の真相は?

飯島 愛 生い立ち

未だに順調だった芸能界引退の本当の理由や 突然過ぎた死因が謎に包まれている元タレントの 飯島愛。 飯島愛の幼少期は成績優秀で大人しい子 だったそうです。 教育熱心で躾の厳しい両親と、彼女の人生を 変える切っ掛けとなり今でも語り継がれている コンクリート事件の事や、ホステスからAV女優 タレント業への転身などの経緯。 そして突然の引退や理由として囁かれた凄惨な 事件への関与疑いなど、飯島愛の生い立ちから 最後までを追ってみよう~ Sponsored Link 飯島愛の生い立ち~厳しい躾と人生を変えた事件 飯島愛は1972年に東京都で生まれました。 教育熱心で躾の厳しいい両親に育てられ 小学生の頃は成績もよく、大人しい子だった といわれています。 両親は中学から東洋英和女学院への進学を 望んだそうですが、 受験失敗してしまいます。 その受験失敗を恥じた両親は、せめて高校からでも 東洋英和へ進学してほしいとして、自宅からは遠い 亀戸の中学へ越境入学させたといいます。 友達のほとんどいない中学校でしたが、 成績は 学年で常に10番以内という優秀さでした。 しかし、同じクラスにどうしても抜くことが できない女子生徒がいて、母親からなじられる 毎日だったそうです。 ある時、数学で90点を取って、今度はきっと 褒めてもらえると思ったところ 「山口さん(仮名)は何点だったの?」 「……」 「4問も間違えているじゃない。 どうしてできなかったの」 というやり取りがあったそうです。 飯島愛はその時の心情を 「私は、ただ褒めてもらいたかった。 父に、母に、一言『頑張ったね』といってもらいたかった」 と語っています。 そんな中学1年の秋頃に精神的な支えでもあった 祖父が亡くなったことで精神のバランスを保てなくなり 両親からのプレッシャーに耐えられなくなって 非行に走ったといいます。 付き合う友達が変わり、それまで出入りも しなかった地元のゲームセンターなどで 遊び回り、屋上でタバコを吸うような 日々だったそうです。 制服のスカート丈が長い事が当時ワルの 定番となっていた事に漏れず、飯島愛も そのスタイルになっていたといいます。 こうして振る舞いが派手になった飯島愛を 襲ったのが 「リンチ事件」でした。 中学2年生になったある日、飯島愛はいつも 遊んでいる女子生徒たちに呼ばれ、待ち合わせ 場所の五之橋の下へ行くと、 「てめぇ、イキがってんじゃねぇよ!」 と、集まった女子生徒ひとりひとりから 激しいビンタを食らい、土下座しての 謝罪を強いられたといいます。 その事件以降、飯島愛は学校でも無視 (シカト)されるようになります。 中学校からも居場所を無くした飯島愛が、次の 居場所を求めて辿り着いたのは、原宿代々木 公園横の歩行者天国 「ホコ天」でした。 「深夜徘徊、ドラッグ、売春、夜の歌舞伎町にはあらゆる非行への誘惑があった」 と、自著で語っています。 活動エリアが亀戸から歌舞伎町に移ったことで 飯島愛の生活は本格的に一変し、無断外泊も するようになり、両親は度々警察に捜索願を 出したそうです。 補導されては父親から顔中あざだらけになる程 殴られたといいます。 飯島愛に差し伸べられた救いの手 飯島愛はその後も家出や万引きを繰り返し 補導回数が積み重なり、ついに江戸川少年 センターへと連れていかれる事になります。 当時の保護司の話では、飯島愛は 「カウンセリングによって更生する見込みはない」 と判断されていたそうです。 そうなればセンターではなく家庭裁判所を経て 少年院に収容される事になります。 それを知った飯島愛を担当していた婦人警官 古川光枝さんが上に掛け合い、なんとかセンターで カウンセリングを受け続けることができるように 計らったそうです。 古川さんは、飯島愛にとって特別な存在だったそうです。 「あの子は、何としてでも守りたかった」 と、よく話していたのだとか。 飯島愛がテレビで活躍する姿を見て、本当に うれしそうに微笑んでいたといいます。 少年センターに通いながら、中学を卒業して その後都内の 私立高校に進学するも1か月で退学。 それから両親や古川さんの前からは姿を消し ディスコで知り合った男性と同棲生活を 始めていたそうです。 カラオケスナックなどでホステスとして 働き始めてから 「愛」という源氏名を付けてもらい そのうちプライベートでも本名の 「松恵」ではなく 「愛」を使い始めます。 それは両親との決別の意味もあったといいます。 六本木でホステスとして働いていたところ スカウトされ、 1992年にAV女優となります。 AVデビュー後にハプニングゲストとして テレビ番組に出演してから、徐々に芸能界へ 以降していき、1994年にはAV女優を引退し タレント業へと転身を果たしました。 Sponsored Link 飯島愛の引退理由だと噂になったコンクリート事件がやばい バラエティ番組などで活躍していた飯島愛ですが 2007年に突然の引退宣言がされます。 引退理由については、週刊誌などで様々な説が 挙がりましたが、2007年3月31日に 「目標や夢が見い出せず、芸能界で生き残っていくことは不可能」 として所属事務所から正式に引退が発表されました。 その後 2008年12月24日、東京都の自宅で 亡くなっているのが親戚の女性に発見されます。 警察などの捜査により、発見時には既に死後 1週間ほど経過していたことが判明しました。 死因は肺炎との事でした。 亡くなった飯島愛の引退理由だと 噂されたものがあります。 「足立女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人グループの一味に関係が噂されていた」 というものです。 この事件は、1988年に起こったもので、アルバイトから 帰宅途中だった女子高生をだまし討ちするようにホテルに 連れ込み、その後加害者の一人の自宅に40日以上に わたって監禁強姦し、加害者の未成年4人で連日連夜むごい 暴行を受け続け、ついに命を落としてしまいます。 そして遺体の処理に困った少年たちは、ドラム缶に 遺体を詰め込みコンクリートを流し込んで、江東区の 埋め立て地へ捨てました。 被害者の少女は、成績もよく、就職も 内定していたといいます。 改めて概要を読んでも、悍ましい事件です。 この事件の加害者4人は少年法に守られ、主犯の 少年でさえ懲役20年という判決でした。 飯島愛が、この凶悪な事件の犯人グループの 一味に関係が噂されていたとして、大きく 話題に挙がりました。 噂の内容としては 「飯島愛が当時付き合っていた男性が、女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人の一人だった。 コンクリート事件関係者に脅されている」 というものでした。 大手芸能プロダクション関係者の話によれば 「彼女が最近、何者かに弱みを握られて 1億円近い金をゆすられたって噂があった。 その弱みと言うのがコンクリ事件じゃないか」 という話でした。 この噂が立ったのは、飯島愛が引退後のことです。 当然、飯島愛は自身のブログで否定していました。 しかしその後に 「想像を絶する金額」を 事務所の経理担当に横領されたとも書いています。 その額が 1億円近いということで、ゆすられたと 噂される金額と一致したことから、まことしやかに ささやかれるようになりました。 また、1億円近くを横領されたと書いていて、警察に 届けていない事から、さらに疑問が広がったようです。 飯島愛の引退が2007年、女子高生コンクリート 詰め殺人事件の主犯格が出所するのが2008年と いう事もあり、このトラブルを予見して引退へと 動いたのではないかと噂が広がっていました。 しかし、全て噂話レベルの事であり、根拠が 一切ないのです。 そして、飯島愛が亡くなっている今 これ以上は語られる事も無くなっています。 真相は闇の中です・・・ Sponsored Link おわりに なんとも、いい加減な噂話で話に尾ビレ胸ビレ生えまくりって感じですね…。 それにしても壮絶で波乱に満ちた人生を短命で終えてしまった飯島愛さん。 彼女が存命であれば、色々捜査もされたのでしょうけど、既に亡くなって10年です。 亡くなっている方に対して無責任な噂を振りまくのは避けたいですね。 もしかして苦しい思いをしていたとしたら~安らかにご冥福を祈るばかりです。

次の

飯島愛さんの韓国批判や遺体の状況から推察される死の真相!!

飯島 愛 生い立ち

芸能引退後の実生活の真実 「2008年12月26日、都内で親族だけの密葬が営まれました。 それとは別に、親交の深かった中山秀征らを中心に、ファン参加のお別れ会を開く方向で準備を進めているようです。 ご両親が了承すれば、早々に実現するのではないでしょうか」(芸能プロ関係者) 「遺体は死後1週間近く経過しており、検視の結果、事件性はないと判断しましたが、自ら命を絶ったのか病死かの判断は出来ず、行政解剖が行われました。 しかしそれでも特定は出来なかった。 室内からは複数の睡眠剤が発見されており、薬の過剰摂取か、もしくは薬と酒の併用で意識不明になったという見方が強いようです」(社会部記者) 数日前に飯島さんと会ったという男性はこう話す。 「眠れないと、憔悴しきっていました。 ここ数ヶ月は薬を飲むと止まらなくなる。 友達の部屋でお酒を飲んでいて気づいたら2日も経っていたと話すこともあった。 感情の起状も激しく、若い頃はいろんな男と寝たんだと言い出したかと思えば、日本の政治はおかしいと騒ぎだすんです。 彼女の悩みについては、金銭トラブルなどあれこれ憶測が流れましたが、私にはよくわからなかったです」 振り返れば飯島さんの人生は波乱万丈だった。 その頃、出演した深夜番組でTバック女王として注目され、テレビタレントに転身した。 大成功の芸能生活だったが、2007年3月31日、持病の腎盂炎(じんうえん)を理由に芸能界を突然引退したのだった。 両親も飯島さんのことを心配していた。 亡くなる1年前、週刊誌記者が実家を訪れた際、父親の大久保和夫さんは、「親としては病気が心配で電話をするんですけど、昼間は寝ているのかどうか知りませんが、全然出てくれない。 コールバックもないし・・・」と不安げに語っていたという。 飯島さんは精神的に不安定になっていたが、当時新たなビジネスを立ち上げる準備に入り、意欲を取り戻していたともいう。 「グッズのショッピングサイトです。 遺体発見の10日前には、旧事務所にも協力を仰ぐため、やっとビジネスの形が見えてきたから、具体的な相談がしたいと連絡を入れていたと聞いています。 そんな矢先だけだっただけに・・・」(芸能プロ関係者) 2000年の飯島愛による自伝著書は200万部も売れ、テレビドラマや映画化もされた。 2006年に芸能界を引退してからも自身ブログの更新は続けていた。 ブログで健康上の問題も綴っていた。 ブログには亡き後もファンがコメントを書き込み続けていたというが、管理していた両親が高齢になった為、2015年10月に閉鎖しています。 飯島愛の地元での生い立ち 肺炎という警察の発表があり、それでも死因についてはエイズだとかいろんな噂が絶えななかった飯島愛。 亡くなってからこれだけ多くの話題があるということは、たくさんの人から支持されていたとも言えるんじゃないでしょうか。 その飯島愛の人生を変えた中学生時代のリンチ事件があったそうです。 2009年2月4日、警視庁渋谷署は飯島愛(享年36)の死因が肺炎であったと発表した。 自宅のマンションからは風邪薬や睡眠導入剤など、医師が処方した薬が見つかったが、事件性はなく病死と断定されたのだ。 華やかなマルチタレントが独りきりで消えていった。 中学時代の彼女の面影が残る橋がある。 「あいつ、五之橋の下でリンチされたんですよ。 あいつが決定的に変わったのはあのことがあってからです・・・」 昼間でも薄暗い川緑に立ちつくしながら、私の脳裏には飯島愛・・いや、本名・大久保松恵の中学時代の友人の言葉が何度もよみがえってきた。 五之橋の近くに、松恵の出身校である江東区第三亀戸中学校がある。 亀戸地区の中では進学率が高いことで知られている。 しかし、松恵の実家から通うには、少々距離が離れている。 なぜ、この中学校に進んだのか? 彼女の小学生の同級生たちはその理由を知っていた。 しつけに厳しく、英才教育に夢中だった両親の姿は、飯島愛の本に何度となく描写されている。 「笑わない父親の隣で、口数の少ない母はいつも目を吊り上げていた。 母からすれば子供たちが叱られるということは、遠回しにお前の教育がなってないといわれているようなものだった。 あなたのためだから、あなたのためだから、ほんとうにそうだろうか。 でもそれが母親の口癖だった。 」 両親が松恵の進学先として望んでいたのは、お嬢様学校として名門「東洋英和女学院」の中学部だった。 入試を受けて不合格になったのか、あるいは学力が合格水準を下回っていたので試験を受けなかったのか、それは定かではない。 いずれにせよ松恵は東洋英和女学院に進学しなかった。 落胆した両親は、せめて高校から東洋英和に進んでほしいと願ったのだろう。 自治体相手の困難な手続きをいとわず、当時としては珍しい越境入学を実現させたのだ。 (地域によっては認めてないらしい) 松恵の中学受験失敗と越境入学は、同じ小学校の同級生やその親たちの間で話題となった。 ある同級生の親はこう振り返った。 「大久保さんが教育熱心なのは有名でしたから、みなさん松恵ちゃんの受験には関心を持っていましたね。 でも大久保さんに受験の結果をきくわけにもいかないじゃないですか。 どうなったんだろう?と話題になっていた時、大久保さんの奥さんがPTAの席で何だがとても恥ずかしそうにしていたので落ちたとわかりました。 松恵ちゃんが三亀中に越境入学すると聞いた時は、あの親ならとみんなで妙に納得していました。 松恵ちゃんの受験の失敗が恥ずかしくて二亀中の親とは関わりたくないんでしょと母親たちは噂をしていました。 」 小学校の友達と引き離され、たった独り三亀中に通う松恵・・・。 12歳の少女にとって、その環境の変化はつらく不安を感じたに違いない。 三亀中の同級生の証言によれば、中学に入学した当初の松恵は、大変おとなしい少女という印象で一致している。 飯島の本でも、中学に入った当初の様子が綴られている。 中間テストや期末テストで、松恵は学年で10位以内という好成績を修めていたが、同じクラスにどうしても抜くことの出来ない女子生徒がいたため、母親からなじられていたという。 数学で90点を取っても褒めてもらえない。 4問も間違えてるじゃない!どうしてできなかったの。 努力しても努力しても、母親から認めてもらえない。 12歳の少女は心の中で悲痛な叫びをあげ続けていた。 私は、ただほめてもらいたかった。 父に、母に、一言がんばったねといってもらいたかった。 追い詰められていた松恵にさらなる悲劇が・・・。 中一の秋に祖父が逝去したのだ。 両親の厳格なしつけでしょんぼりした松恵を温かく受け止めてくれた祖父母の家は、松恵にとっては安息の地だった。 このショックから松恵は勉強を怠ることになり、成績は急速に落ちて行った。 そして問題の事件が起こるのであった。 飯島愛が地元を捨てた事件 祖父が逝去してからは、付き合う友達も変わった。 仲間と一緒にそれまで出入りもしなかった地元のゲームセンターなどで遊び回り、その中で知り合った高校生と交際を始めた。 礼儀正しいと評判だった松恵の態度は、荒々しいものとなっていった。 よくつるんでいた中学の同級生は、このように証言する。 クラスメートの男子の前で、突然スカートをまくりあげた彼女。 「当時は、征服のスカートの丈が長ければ長いほどワルとみなされ、大久保もそのスタイルでした。 今思い出しても何であんなことをしたんだろうか、わからないんです。 スカートを突然上げる行為をした彼女はちょっと自慢げに微笑んでいました。 」 屋上でタバコを吸っているのを教師にばれそうになった時、松恵はタバコをすべて口に詰め込み、ムシャムシャと飲みこんでしまったという。 この証拠隠蔽ですくわれた不良仲間はスゲエ奴と一目置くようになった。 だが、派手な振る舞いは諸刃の剣でもあった。 上級生や他校の不良からすれば、生意気ということになる。 松恵は待ち伏せをされて脅されたり、袋叩きにされたこともあった。 そして決定的な事件が起きた。 中学2年になったある時のこと、松恵はいつも遊んでいる三亀中の女子生徒に呼ばれた。 待ち合わせ場所の五之橋の下に行くと、いつもと仲間の様子が違う松恵をにらみつけてこう啖呵を切った。 「てめぇ、イキがってんじゃねえよ!」 集まった女子生徒ひとりひとりから厳しいビンタを喰らわされた。 中には松恵の親友だと思っていた女子生徒も含まれていた。 松恵は唇は裂け、鼻から、口から血があふれでて、「亀戸で二度とでけぇつらするんじゃねえよ!」と言われ、土下座して謝罪を強いられた。 この事件から松恵は中学では無視をされるようになり、居場所がなくなり、学校にも段々いかなくなる。 友達を失った松恵は、日曜日になると歩行者天国にいくようになる。 ホコ天に通っているうちに松恵は自分と同じような中学生の少女達と仲良くなる。 ホコ天が終わると、今度は新宿へ移動し歌舞伎町のディスコに入り浸るようになる。 当時の歌舞伎町のディスコは500円で中高生でも自由には入れた。 これがきっかけで松恵はさらに堕ちていった。 この当時を知る同級生はこのように証言している。 ごくたまにきまぐれで学校に行っても授業をまともに受けてなかった。 「大久保が久し振りに学校にきた時、音楽の授業で縦笛のテストがあったんですよ。 練習をしてきてない大久保にも順番がまわってきて、彼女は一応、起立してみんなの前に出ました。 けれども全然笛を吹かないです。 その時、教室にシンナーの臭いが立ち込めたんです。 あれ、どうしたんだろうと、クラス中が彼女に目をやると、ビニール袋の中に笛を入れて、シンナーを吸っていたんです。 音楽の先生に職員室に連れていかれました。 」 松恵は定期的に少年センターに通所することとなり、そのたびに古川のカウンセリングを受けた。 そして次第に古川に対し、松恵は心を開いていった。 しかし、古川のカウンセリングによって非行が治ったわけではなかった。 家出や窃盗を繰り返し補導されるというパターンが続いた。 松恵はカウンセリングを受けながら、なんとか中学校を卒業することが出来た。 三亀中の卒業文集を見ると、同級生は嫌でも松恵のことを思い出すという。 それは大久保松恵のページが白紙になっているからだ。 都内の私立高校に進学した松恵は、わずか1ヶ月で退学した。 そして両親や古川の前から姿をくらまし、ディスコで知り合った彼氏と埼玉県で同棲生活を始めた。 松恵は16歳の秋、文京区にあるカラオケスナックで水商売のアルバイトを始めた。 みんなに愛されるようにと、勤め先のママがつけた源氏名が愛だった。 飯島愛(大久保松恵)は10代の頃から人一倍寂しかったのではないでしょうか。 飯島愛が結婚を考えていた元アイドル男性の存在 たくさんのファンに惜しまれ、若くして亡くなった飯島愛ですが、実は結婚する寸前までいった元アイドルの男性がいたことが当時紹介されていました。 両親から勘当され、不仲だと報じられていた飯島愛だったが、実は頻繁に連絡をとり、母の手料理を家族で囲むことも多かったという。 「亡くなってから一切話すつもりはありませんと、口を固く閉ざしてきたご両親ですが、お別れ会で終わりが落ち着いて、話をすることになったようです。 いままでひとり歩きしていた飯島愛の誤解をとき、ごく普通の娘について話したいとの意向があったようです」(出版社関係者) そうして明かされたのは、中学・高校時代に家出や補導などでさんざん迷惑をかけた親に、芸能界入り後、懸命に親孝行し、絆を取り戻していく愛情あふれる親娘の物語。 時を同じく、飯島さんの追悼本が発売された。 この本を発売にあたって、飯島さんの関係者200人に週刊誌が取材をしたという。 その中で初めて明かされたのは彼女の恋愛だった。 「愛ちゃんがかなり真剣に交際していた元アイドルがいたことが明かされています。 そのまま結婚するのでは?という雰囲気でした」(芸能関係者) 出演番組の楽屋が隣だったことがきっかけで知り合い、年齢も1歳違いだったことから親密になったが、人気アイドルグループのひとりだった彼の立場を考えると・・・自分から身を引いたという。 「愛ちゃんが以前からファンだったという俳優と楽しそうにレストランで食事をしていたことや、芸能界に入る前には有名音楽プロデューサーと交流があったことなどのエピソードも紹介されています」(芸能関係者) 亡くなってからも語り続けられる飯島愛という大きな存在が残したものが、いかに大きかったのかを示しています。

次の