ミロ の ヴィーナス 腕。 世界的名作「ミロのヴィーナス」が “失われた両腕” を付けたら……すんごく強そうになったフィギュアになった!

「ミロのヴィーナス」はどんな場面を彫刻にしたのだろう?

ミロ の ヴィーナス 腕

年と月を指定して記事を読む(クリック! それは、「ミロのヴィーナスのプロポーションを測り、日本人女性の平均身長に換算してみると、Bカップになる」という話です。 実は、「小さなバスト・くびれのないウェスト・大きなヒップ」だった…というのです。 「豊潤」というイメージのあるミロのヴィーナスの体型が実はBカップ相当だった、というのは意外で面白い話です。 面白かったあまり、本に記載されていた数値といくつかの資料をあたって、色々な身長の場合に換算した「ミロのヴィーナスのトップバスト・アンダーバスト・ウェスト・ヒップ・ブラジャーのカップ 参照: 」を作ってみました。 自分と比べてみたり、グラビア・アイドルと比べてみたり…ということができるわけです。 たとえば、身長145cmの人だったら、「究極の美」を体現しているミロのヴィーナスのデータ「86Bカップでウェストが69cmでヒップは92cm」と勝負してみると面白いかも、というわけです。 ところで、グラフ自体は身長175cmまでの場合を示しましたが、ミロのヴィーナスの実際の身長と同じ204cmの場合でも…ブラジャーのカップはCだったりします。 やはり、かなりの「小胸さん」です。 ちなみに、ミロのヴィーナスが「小胸さん」だった理由として、「ブラジャーというものがなかった当時は、大きな胸は形が崩れてしまうから」と書いてありました。 ブラジャーがある現在に、ミロのヴィーナスを作り直したら、どんなプロポーションになるのでしょうか…?.

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ミロのヴィーナスの欠けた両腕|Ichihashi247|note

ミロ の ヴィーナス 腕

約700年前の法師と、現在の評論家が全く同じ様なことを述べている。 切り口は全く別なのですが、「完璧なものが美しいのではなく、欠けているものこそ、美しい」という趣旨は全く同じものです。 けれど、芸術論と聞くとハードルが上がってしまうのか、殆どの生徒たちはこの文章を読むのをとても嫌がります。 けど、要は 何を美しいと人は思うか、って事なので、そんなに肩肘張らずに読んでみましょう。 芸術論って、意外に面白いです。 と言うより、人の美意識って面白いなぁ、って思いながら読むと、案外いいかも知れない。 人って、1000年くらいでは、物の考え方や感じ方って、全く変わらないんだなって事が、良く理解できます。 では、本文です。 【第1~2段落】 -第1段落 石像が実際の人のように魅力的な存在であること- ミロのヴィーナスを眺めながら、 彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、ぼくはふとふしぎな思いにとらわれたことがある。 本文より はい、びっくり論旨がしょっぱなに来ました! 欠けている方が美しい。 ミロのヴィーナスを、「彼女」という風に呼んでいるのもそうですが、えーと、筆者の清岡さんにとっては、「彼女」と言いたくなるぐらい、ミロのヴィーナスが特別なんですよね。 ただの石像を「彼女」って、キモイ!! これ、実際の生徒が率直に言ってくれた言葉です。 うん、本音をありがとう。 嫌味でも何でもなく、ちょーっと危ない表記の仕方だったりするんですが、これに気付けるって事は文章が良く読めている証拠です。 で、筆者は危なくもなんともありません(笑) すみません…… それだけ、ミロのヴィーナスの美しさに、惹かれた。 魅力的だった。 心を捉えて離さなかった。 それだけのことです。 で、 そういう存在って、人にはそれぞれあるものです。 まぁ、俗に言うオタクと呼ばれる人たちは、解る感覚なのではないかなと。 漫画やゲーム、アニメの作られたはずのキャラクターを、まるで実在するかのように話したり、思い浮かべたりする事ってある筈だし、架空の存在を身近に感じたり、または今現在の社会なら、ロボットを妙に可愛いと思ったり、Siriの受け答えで遊んだり。 人間じゃない存在でも、例えば小さな子供がクマのぬいぐるみを友達と思って大切にしたり、 心惹かれればそれは人にとって大事な存在になります。 それが筆者にとって、ミロのヴィーナスだった。 ただ、それだけのことです。 -欠損した姿が美しい- そして、特徴的なのは、筆者が心惹かれているのは、両腕を無くしたミロのヴィーナスです。 こんなにも魅惑的であるため、と本文に書かれていることから、筆者の頭の中では、 -第2段落 ミロのヴィーナスの説明- 第2段落の冒頭では、ミロのヴィーナスがどのような経緯で生まれ、何世紀に発掘されたのかを書かれています。 19世紀に農民の手で掘り出された像なんですよね。 農民さんもびっくりしただろうなぁ。 と、ちょっと的外れなことを思ってしまいます。 日本的に考えると、 田んぼ作ろうと土を掘っていたら、仏像が出てきた、ぐらいの感覚でしょうか。 -時代を超えるために無くした両腕- 彼女はその両腕を、自分の美しさのために、無意識に隠してきたのであった。 よりよく国境を渡って行くために、そしてまた、よりよく時代を超えて行くために。 本文より はい、なんのこっちゃら良く解らない部分がやってきました。 自分の美しさのために、無意識に隠した??? 石像が?? 意志を持たない存在が??? と、疑問が頭にぶわっっ!! と浮かびそうな勢いですが、先ほど言ったように、 筆者にとっては、ミロのヴィーナスは人と同じ存在です。 彼に美しさを教えた存在、とも言えます。 ならば、何故、「彼女」が腕を無くすことが。 無意識に、隠してきたことが、時代をこえ、国境を超える事に繋がったのか。 ここではまだ、その理由は明らかにされていません。 明らかにされていないから、ここでは解答を無理矢理出さない。 大丈夫。 続きに必ず解答が出てきます。 【第1. 2段落まとめ】 -欠損した像の美- 完成されたものを美しいと私たちはしてしまいがちですが、実は「美」というものは、様々な要因が絡みます。 その中で、最たるものがこのミロのヴィーナス像。 たまたま偶然、両腕が欠けた像が見つかり、それが現在まで「美しい」とされる価値を私たちに与えてくれているのは、なぜなのか。 それは、欠損しているからこそ、惹きつけられるものがある、と筆者は定義しています。 -普遍性の美を手に入れたヴィーナス像- 「美」というものは、時代、文化、風習、環境によってさまざま変化します。 なので、「普遍性」の「美」というものの存在は、実は実現しづらいものです。 いつの時代も、誰であったとしても、「美しい」と感じさせる何かを、ミロのヴィーナスは手に入れたのです。 さて、それは何によってなのか。 その続きはまた明日。 ここまで読んで頂いてありがとうございました。 続きはこちら.

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ギリシャの像について。(なぜ、腕などが切断(・・?)

ミロ の ヴィーナス 腕

仏国はルーブル美術館の至宝。 ギリシャ語ではミロス島と 呼ばれるそうですが この島の農家の男性が偶然見つけたのが 1820年の今日、4月 8日のことでした。 その時はオスマン帝国が この地を治めていた頃だったので この男性はこっそり家に 隠しておいたのだそうです。 大正解! 土の中に埋もれていた「ヴィーナス像」 ところがトルコ人の役人に 見つかってしまい あえなく没収。 何をやってんだか…! ですが 結果的にはこの没収が 「ヴィーナス像」にとって 幸運となるのでした。 その後 仏人の海軍提督ジュール・ デュモン・デュルヴィルという人が この像を見てピコーン! その価値を即座に理解しました。 同国の大使に懇願して トルコ政府からお買い上げ~し 仏国政府に保管してもらったそうです。 良かった~ 役人が没収品を そこらへ置いておいたのかしら? でもまさか海軍の提督ともあろう人が 他国の没収品の保管庫なんか 見たりしないと思います…。 像はけっこう大きいですし どこか目立つ場所に置いてあった… というか 放置されて いたんじゃないかなあ…と想像します。 没収してはみたものの どうしていいか わからなかったんでそ? ぷぷぷ…。 この海軍提督はかなり立派な人で 生涯で3回も世界周航をしたそうです。 ギリシャ遠征の途中だったようですが この遠征は1819年から20年までの 1年間だけのようなので「ヴィーナス像」が 4月 8日に発見された後 没収されてから あまり時間が 経っていなかったのかなと推測されます。 だから「ヴィーナス像」は 無事だったのでしょうねえ。 ところでウィキベディアには 1821年に描かれたとされるスケッチが 掲載されていますが 今の 「ミロのヴィーナス像」と少し違いますよ。 左の手が二の腕くらいまで残っています。 それに発見された時は 像の向かって右側に 碑文が刻まれた台座があったそうです。 このスケッチにもちゃんと 碑文入りの台座が描かれています。 デュルヴィル提督は 仏国政府に保管しといてもらったこの像を 時の国王ルイ18世に献上したんだそうです。 そしたらこの王さまは像をルーブル美術館に 寄贈することにしたそうです。 ほほう…なかなかできることじゃない とても立派な振る舞いですね。 でもってそのルーブルへ運び込む時に 台座がどっかへ行っちゃったんですと。 決して小さくないものを どうやって失くしたんだか…。 ったく 大事に扱ってよ。 ともあれ この芸術作品は それ以来 ずっとこのルーブルにあるのだそうです。 そして1900年ごろ 一度だけ型を取ったことがあるそうで 今あるレプリカなどはその時に取ったものが 原形になっているのです。 そうそう彼女はただ一度だけ 海を渡って 外国へ旅行したことがありました。 それは はるか遠い東の果ての国ジバング~! そう日本へ来たことがあるのです。 1964年のことでした。 (前の東京オリンピックの年ですよ~!!) でもですね 長旅だったし 当時の輸送技術もアレだったもんで ちょっとだけ壊れちゃったそうで 急いで修復して展示したんですって。 どのへんが破損したのか ちょっとだけ気になりますけど 追及はしないでおきます。 スポンサードリンク 「ヴィーナス像」の両腕の謎 ご存知の通り この像には 両腕がありませんね。 長い間地中に埋まっていたので こういう細い部分は壊れてしまうことも あるかとは思いますが 右の腕は 何と言うかスパッと切れていて 切れ味のいい刃物か何かで 切断したような印象も受けます。 どうすれば大理石を こんな風に切れるんでしょうかねえ…? それに比べて左腕の方は いかにも「破損しました」という感じで こちらは自然というか 埋まっていたんだから しょうがないよねと思えます。 何となく右手の切れ方が不自然だなあ…と 気になってしかたない…。 ずり落ちそうな衣装を 抑えている風もないし… どうしてこうなった? ちなみに西洋美術では 絵画でも彫刻でも 露出が 多いほど神聖さを現わしている のだそうですよ。 衣服は人工的なものなので きっちり身に着けているのは地上、 それが少ないとか ほとんどないとかは 天上という意味らしいです。 もしかして 最初から 右手は無かったとか…? これまでにたくさんの芸術家が 腕のあるバージョンを 作っているようで 先のウィキペディアにも ごろごろ載っています。 発見されて間もなく 描かれたスケッチには 左腕がだいぶ残っていました。 それを踏まえて作られたものが… あまりないんですけど。 あれを参考に作れば 左腕は二の腕を ほぼ水平に上げていた様子になります。 ギリシャ神話の有名な話から リンゴを持っていたんじゃないの…という説が 有力だそうで うん…たしかに そんな感じがしないでもない…。 スケッチの二の腕の様子も 何かを高く掲げ持っていた ような感じがします。 どっかへいっちゃった台座には なにか穴のようなものがあったように スケッチされていますので フルトヴェングラーの 両腕を復元した像のように 左手は飾り台の上に乗って いたかもしれませんね。 返す返すも無くなってしまった 両腕は残念ですが それでも 人々を惹きつけて止まない 「ヴィーナス像」の魅力は 少しも 輝きを失ってはいないのです。 お読みいただきまして ありがとうございました。

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