民主党 アメリカ。 こんなに違うの?アメリカの民主党と共和党の政策違いをわかりやすく

共和党 (アメリカ)

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あと、高齢者向けの公的医療制度「メディケア」の対象年齢引き下げる! 薬の値段を下げる為、国が製薬会社と協議し開発費を抑えてもらいたいね。 ライバルいない製薬会社はとこはどんどん値段あげてしまうからな。 消費者が他の国から輸入できるようにするのもいいな、もちろんちゃんと安全が保証されているのが前提だが。 私はクリスチャンだが、人工中絶の権利に対して賛成だ。 得意の外交を活かしてオバマ政権のときよりも、もっと突っ込んだとこまで取り組みたい。 スポンサードリンク 私が思うこと これからバイデンさんは政策内容などもっと詰めていくと思いますが、今の時点で私が感じたことを書きますと・・ まず選挙を見ていて思ったのは、ライバルのサンダースもそうでしたが、政策うんぬんの前に私は彼の年齢が気になりました。 もし大統領に選ばれたとしたら、任期中に80歳を超えちゃうんですよ。 政治経験が豊富なので知識や人脈あるし、カンも冴えていると思うのですが、それが故に頭固くなってそうだし、トランプに「スリーピー・ジョー(寝ぼけた老人)」とあだ名付けられるくらいうっかり発言も多いし、健康面も心配だし・・大丈夫かな?という気持ちが湧きました。 党代表選びの選挙ではバイデンは出だしがダメで、全然笑顔が無かったのですが、途中から急に追い上げて、超笑顔になっていたのがとても印象的でした。 最後はサンダースを打ち負かし大逆転した件については、撤退した候補達がバイデンの支持に回ったことが大きいのかなと思うのですが、政治のことはよくわからない私でも、何か密約あったのか?と思えるような展開で、やや不自然さを感じました。 あんなに最初はダメムードが漂っていたのに大復活って感じで、ちょっとビックリな結果でした。 バイデンは副大統領に女性を選ぶこと明らかにしていますが、ついでに若い人だったらいいなあと個人的には思います。 健康保健や大学の学費に関して、アメリカは国があまり介入していないのもあり高額なので、どうにかして欲しいという気持ちが私はあるのですが、バイデンが選ばれたのは、サンダースが考えていた国民全員に医療保険とか、学費無償化とかは実際問題として現実離れし過ぎているという表れなのかなとも思います。 サンダースは自分でも言っている通り社会主義寄りで、もし選ばれたら今までのやり方が急激に変わってしまうわけですし・・。 なのでとにかく党として「トランプに勝てる人を出したい!」というのもあって穏健派のバイデンが選ばれたのかなあと思います。 とはいえコロナコロナで、民主党の候補選びが後回しになって、最後の方は党代表選びはあまり注目されなかったので、これから大丈夫かな? あとトランプ大統領は言葉使いが巧みといいますか、口が悪いといいますか、話術が得意な印象があるけど、バイデンは失言も多いし、ディベートとか得意じゃなさそうなのでそれも大丈夫なのかなあ? 大統領選は現職の大統領が有利と言われますが、オバマさんがバイデンを支持表明しているのもありますし、前回の様に何が起こるかわからなそうですね。 どちらにしても次期大統領はコロナによる経済対策をしていくことになると思うので、大変な任務なことは間違いなさそうです。

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なぜ民主党は左派、共和党は右派と呼ばれるのですか?

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2017年の国際情勢で注目されたのが、2016年の大統領選挙で当選した ドナルド・トランプ新大統領です。 共和党から立候補して、民主党のヒラリー・クリントン氏との激戦を制して見事選挙に勝利して当選しました。 アメリカは昔から二大政党制で共和党と民主党からほぼ交互に大統領が誕生しているような感じです。 トランプ氏の前は民主党のオバマ氏、オバマ氏の前は共和党のブッシュ氏・・・ この共和党と民主党はアメリカの二大政党を司る重要な政党ですが、2つとも150年以上の長い歴史を持つ政党です。 政策的にどう違っているのか、支持者はどんな人が多いのかそれぞれ解説していきます、ぜひ参考にしてください! スポンサーリンク 共和党について解説 共和党が成立したのが今から160年も前の 1854年、黒人奴隷制の反対を掲げて連保派のフェデラリストとホイッグ党の流れを汲んで、北東部と中西部の支持基盤によって成立した政党です。 近年ではロナルド・レーガンやジョージ・W・ブッシュなど、対外的に強硬路線を張る政策が目立ってきています。 特にブッシュ政権の対イラク政策、イラク戦争は間違いだったという世論が圧倒的に多く、この影響もあって 共和党離れが進んでいると言われています。 主な歴代大統領 エイブラハム・リンカーン 共和党を代表する大統領と言えば何と言っても第16代大統領の エイブラハム・リンカーンです。 南北戦争において 奴隷解放宣言を行ったことや、国家分裂の危機を乗り越えた強いリーダーシップ、またゲティスバーグ演説における「 国民の国民による国民のための政治」という有名なセリフで民主主義の基礎を改めて主張したことなどが非常に高い評価を得ていて「最も偉大な大統領」によく挙げられます。 このリンカーンも含めて共和党の大統領は歴代で 19人いますが、共和党が非常に強かった時代がまさに1860年から1900年初期にかけてで、この間だけで9人の大統領が誕生しています。 やはり奴隷解放による実績が高い評価を得たことが影響していると思いますが、第2次世界大戦以降を見てみると大統領は民主党と共和党が交互に入れ替わっている状態が続いています。 共和党の政策・思想 共和党は伝統的に 保守主義を掲げています。 この理由は300万以上いるとされる 福音派のキリスト教勢力が支持母体にあることもあって、また対外政策では力によって秩序を保ちあくまで米国の国益を優先する姿勢が色濃く出ています。 その他内政面では以下のような政策を掲げています。 人工妊娠中絶を禁止• 不法移民の受け入れに断固反対• 銃規制反対 共和党の支持母体・勢力 共和党の支持勢力と言われるのが先ほども説明したキリスト教主義勢力ですが、実はもう一つ大きな団体があります。 それが 全米ライフル協会という圧力団体です、アメリカ合衆国に在住する銃愛好家で結成された市民団体ですが、設立されたのが1871年で会員数は全米で 400万人とされています。 共和党が政策で銃規制反対を訴え続けるのは彼らの支持があるからです。 アメリカで銃犯罪をなくすには共和党を変える前に、全米ライフル協会をどうにかしないといけないのです。 スポンサーリンク 民主党について解説 次は共和党と対立するもう一つの政党民主党について解説します。 実は設立年が 1828年で共和党より26年も早く非常に歴史が深い政党なのです。 南北戦争時において北部が共和党中心だったのに対して、民主党は南部を中心とした勢力を支持基盤に持っていました。 その名残ゆえか、現在でも伝統的にカトリックを重んじる保守系の議員もいたりします。 南北戦争で奴隷制の廃止を訴えた共和党の台頭もあって、1800年代後半はかなり弱体化しました。 しかし1929年の世界恐慌で状況は一変し、経済規制に政策を転換したことで民主党が優位な立場になります。 主な歴代大統領 ジョン・F・ケネディ 民主党はこれまでに 16人の大統領を輩出していますが、中でも印象深いのが第35代大統領の ジョン・F・ケネディでしょう。 選挙で選ばれた大統領としては史上最年少の 43歳で就任した若さということと、 キューバ危機を乗り越えたこと、宇宙開発競争で アポロ計画を推進したことなど多数の功績がありますが、1963年のパレード中に暗殺されるという悲劇的な結末を迎えます。 あまりにも衝撃的な事件でありましたが、この暗殺事件には様々な陰謀説があります。 (因みにこの暗殺事件に関する機密資料が公開されるのは 2039年らしいです、長すぎますよ。 ) また日本ではケネディ元大統領の娘である キャロライン・ケネディさんが昨年まで駐日大使でした。 願わくば彼女だけでも留任してほしかったですね。 民主党の政策・思想 共和党が保守主義であるのに対して、民主党は リベラル思想が強いです。 最近ではリベラルとは言わずに 進歩主義という言葉も使っているそうです。 その名の通りリベラリズム色が強い政策が売りで、経済・財政政策的にも医療保険の強化や累進課税の強化を訴えたり、さらに国際協調主義を全面に打ち出しています。 オバマ前大統領はまさにそういった色合いが強い政策でした。 この他内政面では以下のような政策を掲げています。 人工妊娠中絶の容認• 不法移民の受け入れを容認• 労組重視• 同性愛容認 ご覧のように共和党とはまるで真逆の政策です。 どっちがいいかなんて明確な答えがあるわけではありませんが、ハッキリしているのは、アメリカでは賛否両論が激しく分かれる政策で対立すると中間になるような政党がないので、有権者からしたら選べないという悩みも少なくないようです。 民主党の支持母体・勢力 リベラル色が強い政党なので支持勢力もそういった人達が多いですが、何といっても移民に関しては非常に寛容的な姿勢なので、黒人やヒスパニック系など特に 有色人種が多く住む地域は非常に強い地盤を持ちます。 また労働者や労働組合を重視した政策も掲げているので、 アメリカ労働総同盟(略称:AFL-CIO)という団体も支持しています。 日本に例えるなら今の民進党と言えるでしょう。 まとめ 説明は以上ですが、最後に共和党と民主党の違いを簡単にまとめると以下のようになります。 共和党は保守、民主党はリベラル• 大統領の人数は共和党が19人、民主党が16人• 共和党の支持母体はティーパーティー・全米ライフル協会、民主党の支持母体はアメリカ労働総同盟・有色人種など 長い解説となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます!アメリカの政治制度を理解するとアメリカ関連のニュースも面白くなります。 また大統領選挙は去年ありましたが、次に控えているのは1年半後の 中間選挙です。 共和党と民主党が下院議会で過半数を争う大事な選挙です、果たしてトランプ政権は評価されるのか否か? スポンサーリンク 全体の人気記事• 31,681 views February 27, 2018 に投稿された• 18,881 views November 30, 2017 に投稿された• 18,075 views May 31, 2018 に投稿された• 18,036 views March 31, 2017 に投稿された• 18,007 views May 26, 2017 に投稿された• 17,133 views April 29, 2017 に投稿された• 15,716 views April 30, 2017 に投稿された• 15,035 views June 8, 2019 に投稿された• 15,010 views April 26, 2019 に投稿された• 14,960 views March 30, 2017 に投稿された• 13,045 views September 30, 2018 に投稿された• 12,960 views December 31, 2018 に投稿された• 10,341 views May 27, 2017 に投稿された• 8,319 views May 21, 2017 に投稿された• 7,277 views February 26, 2018 に投稿された.

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アメリカの「共和党」と「民主党」はどこがどう違うの?

民主党 アメリカ

民主党の前身 現在のアメリカ合衆国でと並ぶ二大政党の一方の政党である民主党は、1820年代に政党として活動するようになったが、正式に民主党 Democratic Party と名のったのはジャクソン大統領の時代の1832年とされている。 ジェファソンのリパブリカン党 に際して、の制定過程で明らかになった、(連邦派)と(反連邦派)の対立があったが、そのうちの後者の指導者であったが結成したが民主党の前身となった。 リパブリカン党は「共和党」と言う意味であるが、現在の共和党にはつながっていないので注意を要する。 リパブリカン党の分裂 反連邦主義(州権主義)を掲げて結成したリパブリカン党であったが、ジェファソンが大統領となった1801年以来、合衆国の権力をにぎっていたが、その時代の1803年のなどによっての国土が西南部に広がって行くに従い、新しい州が生まれて行くにしたがって意見の相違が現れた。 それはを容認する国民共和党(ナショナル・リパブリカン党=National Repabulican Party)と、州権主義を維持する民主共和党(デモクラティック・リパブリカン党=Democratic-Republican Party)への分裂に至った。 ジャクソンの登場 1820年代にの西南部で増加していった開拓農民は、それまでの東部を拠点とした産業資本家や大地主によって支えられていた首都ワシントンの既成政治家に次第に反発するようになった。 彼らの声を代弁したのが、自ら西部農民の出身で、1812年ので活躍した将軍であった。 1828年の大統領選挙に彼が東部富裕層の既成勢力打破をとなえて出馬すると、民主共和党は彼を支持し、西部・南部の農民層の支持を受けて大統領に当選させた。 民主党の変化 民主党は1832年に支持者によって結成され、当初は西南部の独立自営農民層を支持基盤とした政党であった。 また反連邦主義・州権主義にちかい存在であった。 しだいにの支持者が主流を占めるようになり、北部の民主党員は反主流派となった。 南北戦争での転換 ところが南北戦争で南部が敗北したことによって民主党は解党的打撃を受けたが、その後南部の復帰に従って勢力を回復するとともに、北部の共和党の間隙を縫って労働者層や移民層に支持を広げ、全国政党として再起する。 それ以後の民主党は共和党に対抗して二大政党政治を展開するが、その間、北部民主党員が主流を占めるようになっていった。 革新政党への変身 20世紀に入ると、ウィルソン、F=ローズヴェルトが登場し、保守色の強い共和党に対して、民主党は革新的性格を強め、労働者層や黒人の支持を受け、戦後のケネディ、カーター、クリントン、オバマというリベラル色の強い政権に継承されていく。 ただ、現在でも南部には保守的な民主党員も存在している。 このように民主党と言っても時代に適応してその政策と支持勢力を変化させており、一貫しているわけではない。 ・ページ内の見だしリスト• (1829)• ポーク(米墨戦争)(1845)• クリーヴランド(1885)• (1913)• (1933)• (1945)• (1961)• (1963)• (1993)• オバマ(2009) 民主党(1) 結成から南北戦争へ 1832年にジャクソン支持勢力が結成した民主党は西南部の農民層を基盤とし、州権主義を継承した。 反ジャクソン派が結成したホイッグ党と対抗したが、40年代には政権を担当することが多かった。 しかし、次第に南部のプランターの利益代表として黒人奴隷制の拡大を主張するようになり、北部との対立が決定的となり、南北戦争となる。 民主党の結成 1832年に支持勢力は新たな政治勢力として結集し、民主党に改称した。 このように民主党は西南部の農民層を基盤とした、ジャクソン支持者によって結成された政党であり、独立自営の精神をバックボーンとし、傾向としては州権主義を継承して連邦政府の権限を制限し、州の自治を拡大する政策をとった。 しかし実際にはジャクソンの個人的な手腕に依存する面が強かったので、それに反発する国民共和党はを結成した。 1840年代からは民主党はのプランターの利益代表として、の拡大を主張するようになる。 ジャクソン大統領と民主党への改称 のジャクソン時代は民主主義()が進展した時代とされ、その支持政党であった民主共和党は、ジャクソン在任中のに正式に民主党(デモクラット党 Democratic Party を名のることとなった。 それが現在の民主党につながっている(その主張は時期によって大幅に異なってくるので注意すること)。 一方、国民共和党は、ジャクソン大統領の強権的な手法に反発ししてを結成し、二大政党が成立した。 Episode デモクラシーは危険な思想とされていた 「デモクラシー」は「一世代前には無秩序を連想させ上流社会から恐れられた言葉」であった。 ジェファソン系列のリパブリカン党が、ジャクソン時代に其の旧名を捨て、民主党となったことは、イギリスにおける、らの登場と同じような、社会情勢の変化の結果であった。 この時代はもはやワシントン時代の合衆国ではなく、ニューイングランドを中心とした北西部の金融・工業勢力は、労働者層・西部の農民層・綿花プランテーションの奴隷所有者の三者とが対立する情勢へと変化していた。 <ビアード『アメリカ政党史』UP選書 p. 70-71> ホイッグ党との二大政党時代 民主党はジャクソンの支持基盤であった南部と西部の自営農民を中心に広い支持を集め、1829~61年の間、がともに人気の高い軍人を大統領候補として当選させた2回(1840年のハリソンと、48年のタイラー)の8年間を除いてを除いて大統領選挙で勝利し、政権を独占した(バン=ビューレン、 ポーク、ピアース、ブキャナンの各大統領)。 その基本政策は次のようにまとめられる。 南部のの綿花輸出の利益を守るため保護貿易に反対。 はプランテーション維持の為に必要。 合衆国銀行(中央銀行)は金融勢力の牙城に過ぎないので廃止するなど、経済政策では政府は民間に介入しないレッセ・フェール(自由放任主義)をとった。 プランターと自営農民により多くの土地をもたらすこととなる領土膨張を進め、を併合、でカリフォルニアなどを獲得した。 奴隷制拡大派の優勢 特に、1854年のは奴隷州と自由州を均衡させ、北部への奴隷制の拡大を制限していた(1820年)を破棄する内容であり、また最高裁が1857年に出したのいずれも民主党の意向を汲んだものであったので、反発した奴隷制拡大反対派はを結成、もその主要なメンバーとなった。 民主党の分裂 こうして北部の産業の保護と奴隷解放による市場拡大と労働力の確保をもとめる声が強くなり、奴隷制拡大反対を主張するの進出を見ることになる。 また1860年には、奴隷制に対する見解で、新州がが連邦に加入する際、自由州か奴隷州かの選択を住民が決して良いと主張するグループと、連邦議会は州の奴隷制を制限することは出来ないと主張するグループが対立し、分裂状態となった。 そのため同年の大統領選挙では共和党のの当選を許し、南部のプランターが反発してを結成すると、民主党は分断され、窮地に陥った。 南北戦争 はの政党のあり方も大きく変化させた。 民主党は戦争前にすでに実質的に分裂していたが、さらに戦争によってその基盤であった南部プランター層が急速に没落し、またによって恩恵を受けた西部の農民層も共和党支持に変わったこともあって、解党的な危機に陥った。 北部への進出 南北戦争後はそのような危機を迎え、民主党は政党として存続するために大胆にその政策を農業中心から工業中心に転換させ、共和党の勢力のおよんでいない新たな支持層を開拓しようとした。 そこで新生民主党が着目したのが、アメリカの急激な工業化によって増大しつつあった北部の労働者層と、おなじく急速に増加してきたであった。 また、「再建」が進み、が進んで白人が地位を回復していくなかで、民主党は次第に復調し、共和党に対抗できるだけの全国的な政党組織を復活させることができた。 奴隷制が廃止されたことで民主党内の対立点はなくなったが、南部民主党員の中には依然として黒人に対する差別意識が強く残っており、一部急進派にはに心情的に近い人々も存在した。 1877年の妥協 1876年の大統領選挙は共和党のヘイズと民主党のティルデンの激しい争いとなった。 結果はティルデンの僅差の勝利となったが、ヘイズ側が南部三州(サウスカロライナ、フロリダ、ルイジアナ)で不正があったと疑義をはさんだ。 この三州の選挙人は19人で、それがヘイズ票となれば結果は逆転する。 両党は非公式に折衝を重ねた結果、妥協が成立、民主党はヘイズの勝利を認める代わりに、サウスカロライナとルイジアナの連邦軍の撤退を約束させた。 その密約に基づいて1877年に共和党ヘイズが大統領に就任、南部民主党の重鎮クレイを国務長官に任命した。 このアメリカ史上「1877年の大妥協」といわれる談合は南部社会に大きな変化をもたらした。 南部は民主党の牙城となり、徹底的に人種差別政策が推し進められていく。 <杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』2010 集英社新書 p. 85-86> 共和党との二大政党政治 南北戦争後から1880年代初めまでの大統領が続いたが、議会では民主党がかなりの復調を見せ、1884年の大統領選挙では、共和党の指名争で敗れた反主流派を取り込んで、クリーヴランド(任期1885~89)が当選した。 1888年の選挙では関税引き下げを掲げたが、僅差で共和党のハリソンに敗れ、92年選挙ではふたたび当選し、第2期を努めた(任期1893~97)。 しかしこの頃になると、共和党と民主党の政策的対立はほとんどなくなってゆき、それに対する不満を感じている労働者の中から社会主義政党(1877年の社会主義労働党、1900年の社会党、1919年のアメリカ共産党)も出現し、また農民の中にも急進的な農民運動を掲げる政党(1892年の人民党)、さらに禁酒運動を進める政党など「第三党」が出現するようになった。 しかし、民主党のクリーヴランド大統領は1894年の大規模な鉄道労働組合のストライキであったプルマン・ストライキに介入して鎮圧したように、保守主義的な体質をぬぐえなかった。 また、労働組合の全国組織である(AFL)も政治活動を否定して経済闘争を主眼としたので、ヨーロッパに見られるような社会主義政党の進出は見られなかった。 民主党の再転換 19世紀の後半のにおいて資本主義の高度な発展は大企業を出現させるとともに、段階へと突入すると、周期的な恐慌を繰り返すようになった。 すると二大政党の経済政策に明確な違いが現れ、は大企業の利益を擁護するため市場に出回る通貨量の抑制、保護関税制を主張して北部で優勢であり、民主党は支持基盤である南部の農民保護のために、通貨量を増やしてインフレにし、負債を軽減することを主張し、農家への政府融資、低関税、大企業の規制強化なども要求した。 <杉田『上掲書』 p. 87> のにつづくの時代(1897~1909)は、やなどが押し進められていった。 しかし、帝国主義政策と結びついた独占資本主義の形成が進み、ロックフェラーやモルガンなどの巨大資本が形成されていくと、その一方で貧富の差が拡大し、労働者や農民の疎外感が強まったことを背景に、社会の変革を求める気運が高まった。 民主党は革新的な主張を掲げたブライアンを立てて選挙を戦い、南部では票を集めたが、いずれも共和党に敗れた。 Episode 「西部のグラックス」ブライアン 1896年と1900年に民主党から大統領選挙に立候補した ウィリアム=ブライアンは「賃金労働者・田舎弁護士・四辻の雑貨屋・農民・鉱夫らの側に立って戦う」と述べて、資本家ではなく大衆の側に立つことを明らかにした。 いずれも帝国主義的な膨張政策を掲げた共和党のに敗れたが、このころから保守的な共和党に対して、革新的な民主党というイメージが出来上がっていった。 ブライアンは1908年にも民主党候補として立候補したが、共和党タフトに敗れた。 引用 左翼の伝統に合致する政綱を作成した民主党は、いみじくも「西部のティベリウス=(民権擁護のために戦ったローマの護民官)」と呼ばれたウィリアム=ジェニングス=ブライアンを、大統領候補に指名した。 有名な「金の十字架」演説の中で、ブライアンは彼が賃金労働者・田舎弁護士・四辻の雑貨屋・農民・鉱夫らの側に立って戦うことを明らかにしていた。 彼は、自己の友としてこれらの人々をあげ、「われわれはこれらの人々のために語るのだ」と叫んだ。 <ビアード『アメリカ政党史』UP選書 p. 125> 2016年の民主党大統領指名をヒラリー=クリントンと争ったサンダースと同じような人がいた。 民主党を革新政党というイメージ変えたブライアンであったが、一面では進化論には強く反対するキリスト教原理主義者でもあった。 革新主義と共和党の分裂 そのような気運の中で、全国的な改革運動として(Progressivism)が起こり、都市中間層を中心として多様な階層が結集し、上院議員の直接選挙やトラスト規制(独占の制約)、税制や関税の改革、労働者の保護などを要求するようになった。 革新主義は共和党に強い影響を及ぼし、は大統領から退いた後、自らその動きに同調して共和党から分離し、1912年に 革新党を結成して第2期に立候補した。 ウィルソン大統領 このの分裂に乗じて、1912年の大統領選挙に当選したのが民主党のであった。 ウィルソンも大銀行家・大製造業者・豪商・鉄道会社や汽船会社の支配者を特権勢力として、政治を大衆の手に取り戻すことを掲げ、彼の獲得した一般投票は対立候補の得票の合計より200万票少なかったが、共和党が分裂していたために容易に当選できたのだった。 就任から1年あまりでが勃発、アメリカは中立政策をとる間に、工業製品と農産物がヨーロッパの交戦国の厖大な需要によって活況を呈し、社会問題は背後に追いやられた。 しかし、ウィルソンは二期も含めて(ニューフリーダム)と称して、反特権・反独占を基本とした革新的な政策を実施した。 とくに1914年のは労働者から歓迎された。 ついに1917年にに踏みきり、大戦後の国際社会の指導理念としてを掲げ、アメリカの孤立主義外交を転換させようとした。 しかし、共和党の主導する議会はウィルソンの提唱した国際連盟への参加を拒否した。 第一次世界大戦後の1920年大統領選挙で民主党候補となったコックスは、ウィルソンの後継者として国際連盟案批准、産業経済規制の継続、帝国主義的海外進出に反対という姿勢で戦ったが、「平常(ノーマルシー)への回帰」を唱え、規制緩和、海軍力強化による積極的海外進出などをとく共和党のに敗れた。 民主党ウィルソンの理念はこの段階では国民に十分支持されていなかったのだった。 1920年代、共和党政権下の民主党 の1920年代は、再びの大統領、ハーディング・クーリッジ・フーヴァーと続き、大企業・大銀行・大投資家による自由放任経済が展開され、空前の経済好況の時代となった。 民主党はいずれも対立候補を立てたが、国民は革新や平等、国際協調と言った理念よりも、経済の繁栄、自国の隆盛をもたらす政策を実行するとして共和党に票を投じていた。 アル=スミス この間、ウィルソン後の民主党は、東部の都市の移民層と西部の農村の小農民との対立によって揺らいでいた。 前者の勢力を代表する人物として、ニューヨークの移民の出身でカトリック信者であったアル=スミスはニューヨーク州知事を経て1928年の大統領選挙で民主党の指名を獲得することに成功し、北部民主党が主導権を握ったが、プロテスタントの小農民層の多い南部民主党はアル=スミスに反発して共和党に投票するものあり、民主党の団結が失われた。 しかし、民主党の主流は、都市の市民を主体とした「進歩派」が占めるという流れができ、次のフランクリン=ローズヴェルトにつながることになる。 人々はこのような難局に対処できるリーダー像を求め、それがアル=スミスの後を継いでニューヨーク州の進歩派知事を務めていたに合致したと言える。 彼は都市の大衆の支持を受け、しかもプロテスタント系の名門地主の出身であったことから、民主党の一致した候補者となり得たのだった。 また、F=ローズヴェルトの登場によって、民主党は南北戦争後の「再建」期の強固な基盤であった南部の白人保守派と、北部のリベラル派を構成する労働組合、カトリック教徒、ユダヤ人、黒人などがF=ローズヴェルト支持という一点で「ニューディール連合(ローズヴェルト連合とも)」と言われる大連合を形成した。 多数派革新政党へ こうしてフランクリン=ローズヴェルトはウィルソンと並んで内政における革新性、外交における国際協調というその後の民主党の基本的な姿勢を作る上で大きな存在となった。 民主党がリベラルな「革新政党」というイメージが出来上がると、それに対して共和党は、政策的にはニューディールに追随せざるを得ないと判っていても、対抗上、「保守政党」として違いの明確にしないと、政党としての存在意義を失いかねない状況となった。 (引用)かくして、かつて農民を主体とした民主党は、今や都市大衆を主な支持者とし、広く低所得者層に訴える政党として再編を完成し、都市化・工業化を背景に、今や半恒久的少数政党から半恒久的多数党へと転換を遂げたことになった。 <ビーアド『アメリカ政党史』UP選書 斉藤眞執筆の補論 p. 186> 第二次世界大戦 1939年、が勃発するとF=ローズヴェルトのは、当初は不介入政策をとりつつ、でファシズムに対抗するための連合国の結束を強め、イギリスのチャーチルとので早くも戦後構想をうちだし、日本軍のを契機に参戦してに突入するとともにで欧州戦線に軍隊を投入、連合国軍を勝利に導いた。 戦争中に彼が構想した国際連合は戦後世界の枠組みとなった。 での開発に着手した。 大戦末期に4選を果たした直後、F=ローズヴェルトは死去し、副大統領が昇格した。 トルーマンに署名してをせまり、へのの投下を実行した。 戦後のアメリカ トルーマン大統領 トルーマンははからずもを主導することとなった。 再選を目指した1948年の大統領選挙でニューディールの継承、社会保障制度の拡大などを柱にをかかげて積極的な選挙運動を展開し、劣勢をはね返して再選された。 トルーマンは人種差別撤廃に積極的で、リベラルな姿勢を採ったので、民主党内の南部保守派は人種分離法を支持して「州権党」を作って分離し、民主党の統一に亀裂が入ったため、議会は共和党が多数を占めることとなった。 そのためトルーマンは内政で見るべき成果を上げられず、1950年にが勃発すると、外交処理に忙殺されることとなった。 共和党アイゼンハウアー政権 1952年の大統領選挙では民主党はニューディールの継承を掲げたスティヴンソンを立てたが、は政策論争よりも選挙の顔として第二次世界大戦の英雄を立て当選させた。 背景には、民主党長期政権下でニューディール政策が定着したことによって、かえってその支持層が保守化して共和党に鞍替えする傾向が出てきたことがあげられる。 また、国民も永く続いた民主党政権からの何らかの変化に期待した。 そこに登場した「アイク」の愛称で知られた庶民的な軍人アイゼンハウアーに国民は親近感を感じたのだった。 ケネディの登場 1953年からで2期8年続いたアイゼンハウアー共和党政権が、1957年のなどで動揺し、民主党に政権奪回の機会が訪れた。 そこで民主党は世代交代を演出し、新鮮な候補者を選ぶ必要にせまられ、選ばれたのがであった。 45歳の若さとインテリ風の弁舌で人気を博し、特に初めて大統領選挙に導入されたテレビ討論で共和党のニクソンに対して優位に立って勝ったが、その勝利は11万票しかない僅差であった。 1961年からのケネディ政権は「 ニューフロンティア」を掲げ、民主党の主張である黒人差別撤廃を実現するための公民権法案作成に入った。 63年8月にはが指導したが行われ、は最高潮に達した。 外交面ではにともない、ヨーロッパの、足下のカリブ海でのに直面した。 カストロのキューバとは断交し、さらにを迎えたが、ケネディ大統領は果敢な交渉でソ連のとの妥協を引き出して危機を脱し、評価を高めた。 しかし、63年11月、南部のダラスで凶弾に倒れ、その政策は副大統領が継承した。 翌年、ジョンソンは改めて大統領に選出され、公民権法を実現させ少数者の権利を守るを軌道に乗せたが、ベトナムへの介入に踏みきり、ベトナム戦争の泥沼に突入し、68年に共和党ニクソン政権に交代した。 ベトナム戦争と民主党 第二次世界大戦後の世界の激変は、アジアにおいては1949年のの成立であった。 次いで起こった朝鮮戦争は1953年に休戦が成立、54年には(第一次)が終結しフランス軍が撤退した。 アメリカは東南アジアの共産化を恐れてベトナムへの介入を続け、南ベトナム政府支援を開始し、ケネディ政権もそれを継承した。 ジョンソン大統領 しかし、南ベトナム政府は腐敗し、弱体であったのに乗じて北ベトナムの攻勢も強まる中、1965年、民主党政権はを口実に北ベトナムに対するを決行、に突入した。 ベトナム戦争はドミノ理論に基づく東南アジアの共産化を防ぐという、西側諸国の盟主としてのアメリカの国家的責任が掲げられたが、内実は中国市場を失ったアメリカにとって東南アジアの自由市場はどうしても維持しなければならない(日本産業の復興のためにも)という側面もあった。 それは民主党・共和党の枠を越えた国家的要請と考えられ、国民的な支持を受けていたが、政権のもくろみを越えて長期化し、(ベトコン)の激しい抵抗によって泥沼化するに従ってが熱を帯びるようになり、民主党政権への逆風となっていった。 1968年 1月、ベトコンの旧正月(テト)攻勢が開始され、形勢は逆転、アメリカ軍は苦境に立った。 民主党内部にもマッカーシー、ロバート=ケネディ(ケネディ大統領の弟)が停戦を主張しをジョンソン大統領は追いつめられ、3月31日にベトナム和平協議を提唱するとともに大統領選挙不出馬を表明した。 この年、についでロバート=ケネディも暗殺され、ジョンソンの後継としてハンフリーが指名された民主党大会は大混乱に陥った。 世界的な(スチューデントパワー)の嵐はアメリカにもおよんでいた。 共和党ニクソン政権 その結果、同年末の大統領選挙ではのが勝利、民主党は政権から離れることになった。 ニクソン政権はベトナム戦争をアメリカにとって有利なように終結させることをめざし、北ベトナムとの和平交渉を断続的に続けながら、やを行い、かえって傷口を広げていった。 それでもの巧みな外交で中国とソ連を訪問し、再選後の73年にはベトナム戦争の停戦を実現しを行った。 のスキャンダルで大統領を辞任、後継の 大統領の時、し、ベトナム戦争はアメリカの完全な敗北として終了した。 ベトナム戦争後の民主党 ベトナム戦争後の二大政党は、傾向としては民主党が外交では国際協調路線、内政では革新色を強め、社会保障など大きな政府を志向し、は外交面では一国強国路線、内政では保守主義に立ち、小さな政府を志向するということがいえる。 カーター大統領 1976年の大統領選挙では現職の共和党フォードがニクソンに恩赦を与えるなどで人気がなかったので、民主党のが当選した。 ジミー=カーターは中央政界では Jimmy,Who? といわれ無名だったが、ジョージア州知事時代に労働者と黒人に支持された革新的な政治を行って大衆的な人気を博し、大統領当選後は軍事的力ではなく、「」を掲げ、など、世界にその理念を広めようとした。 しかし、80年のイラン大使館人質事件の対応失敗によって世論の批判を浴び、その年の大統領選挙で共和党のレーガンに大敗した。 共和党レーガン政権・ブッシュ(父)政権 1980年代のは、との政権が続いた。 レーガンは「強いアメリカ」の再現と、「小さな政府」によって減税し、経済を活性化させることを掲げ、レーガノミクスといわれる財政・経済政策を打ち出した。 それは法人税などの減税、規制緩和、社会保障費削減など、政府の経済介入を極力させ、企業に自由に競争させることによって経済を成長させるというの経済学説に立つものであり、従来の民主党政権が維持していたニューディール政策を根本から否定するものであった。 東西冷戦の終結 この間世界は1989年のから東欧社会主義圏が一気に消滅し、は、ソ連のゴルバチョフとを行い、を宣言した。 さらに1991年にはが現実となり、米ソ二大国の重しのなくなった世界では民族対立や宗教的対立など地域紛争が多発するようになった。 クリントンとオバマ レーガンおよびブッシュ(父)の永い共和党時代が続いた後、1992年の大統領選挙では、民主党は若さと清新なイメージでが現職ブッシュを破り、当選した。 クリントン政権(1993~2001年)はアメリカ経済の立て直しに努め、IT時代の到来を背景とした好景気に見舞われたので雇用を増大させた。 外交では人道的介入と称してNATO軍のボスニア介入を容認した。 しかし、女性スキャンダルを起こし、弾劾裁判は免れたが人気を落とした。 共和党政権の復活 2000年の大統領選挙はまれに見る接戦となった結果、民主党候補ゴアは共和党のに敗れた。 ブッシュ政権の2001年にが起こり、アメリカは対テロ戦争に突入、、と「世界の警察官」としての海外派兵が続いた。 この時期の共和党政権は、中枢にいる保守派(タカ派)である新保守主義(ネオコン)派によって主導され、唯一の軍事大国としてのアメリカが単独行動主義()と言われ、国連を無視あるいは軽視する傾向が強まった。 オバマ大統領 共和党保守派が主導した戦争の時代に嫌悪感を感じるようになったアメリカ国民は、2008年にふたたび、清新なイメージと、最初の黒人大統領という話題性から、民主党のオバマを大統領に選出した。 オバマ政権は二期(2009~2017年)にわたり、オバマケアと言われた国民皆保険制度を実現したり、社会保障の充実や同性婚の容認などの進歩的な政策を打ち出し、プラハで核なき世界を実現させることを演説してノーベル平和賞を受賞するなど、理想主義的な政治を行った。 そのキューバやイランとの国交回復やアフガニスタン、イラクなどに対する消極的な姿勢は、保守勢力に「強いアメリカ」の時代の復活を叫ばせる余地を与えた。 2016年大統領選挙 2016年大統領選挙では、2期を終えたオバマ政権を継承することを掲げて、民主党はクリントン元大統領の夫人であったヒラリー=クリントンを指名した。 民主党左派のサンダースは貧富の差の解消などの社会改革を主張し、最後までヒラリーと指名を争ったが、ヒラリーは国務長官としての経験、初の女性大統領を目指すことなどを前面に打ち出し、結局、民主党は安定性を重視してヒラリー指名に落ち着いた。 それに対して共和党のトランプは、ヒラリーを財閥などの既成勢力の代表として捉え、彼女のメール問題などを執拗に攻撃、さらにメキシコとの国境に壁を築くなどの過激な移民排除を公約として掲げた。 外交や貿易では「アメリカファースト」だけを念頭に置き、世界の警察官や世界の金庫番としての役割はまっぴらごめん、という姿勢を明言している。 民主党のシンボル ロバ 起源は大統領に遡る 大方の予想に反して、トランプが勝利(予定選挙人での)したことは、この大統領選挙でヒラリー=クリントンが女性であることへの期待感よりも、エスタブリッシュメントとして嫌われ(或いは飽きられ)ていたことを明らかにした。 トランプ現象はアメリカの政治に時として現れる反知性主義、たとえば戦後だけで見てもマッカーシー旋風とか、レーガン人気などと同じ動きなのかもしれない。 また、総得票数ではクリントンが上回っており、選挙人選挙でトランプが勝つという(最終的には2016年12月に判明)、アメリカの大統領選挙システム自体の欠陥が指摘されている。 ルールに則った選挙の多数決で権力が移譲されるという民主主義のルールである以上、結局は結果が覆ることはないであろうが、今後は問題にされていくかもしれない。

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