萌えイラスト。 Excessively Long Sleeves ♡ Girls Wearing Sweaters

もえたつ

萌えイラスト

先月、シュナムルさんという方が、Twitterでライトノベルの表紙に描かれた「萌え絵」に不快感を示す主張を繰り広げて「炎上」した。 (参照:) 以来、ここ1ヶ月ほどTwitterをチェックしているが、先日はNHKのサイトで「バーチャルYouTuber」の「キズナアイ」が採用された件が批判され、議論は多くの論者を巻き込んでさながら戦争のようになっている。 「 萌えイラストは性差別だ」と主張するフェミニズムやフェミニズムに近い考え方をする人たちと、「イラストは性差別ではないし、オタクコンテンツを排除しようとするフェミは 表現の自由に反している」と反発するオタク、またオタクを擁護する人たちとの溝は深まるばかりだ。 当コラムでは先月、「 表現規制を支持するつもりはない」と前置きした上で、次のように述べた。 願わくば、そのイメージの貧困さを、消費する側の人たちから納得のいく説明として聞きたい。 議論がしたい。 あなたたちは何を欲望しているのか、いないのか。 私のイメージが貧困であるとすればなぜなのか。 表現の自由を許容しない「誰か」を、一方的に責めるだけでは前に進まない。 個々人が自分の言葉で、それぞれにとっての「自由」を定義しあう社会を、私は待ち望む。 私は巷にあふれる萌えコンテンツを、規制しろとは思っていない。 生身の女性を出演させるAVと違って、イラストは具体的な他者を傷つけている可能性があるとまではいえないからだ。 しかし、ある種のアニメ風タッチで描かれた女性像を見ると、嫌悪を感じるのも事実である。 この感覚は昔、男性に無理やりアダルトビデオを見せられたときの感じとよく似ている。 男性が理想とするような女性像があふれ、社会からの押し付けに感じられて自己を侵食してくる。 私にとっては抑圧的に感じられるのだ。 しつこいほどに主張したいが、萌えイラストの類は規制できないし、する必要もない。 しかしそういうコンテンツを好む男女と議論することで、私自身の萌え絵に対する印象は変わるのではないかと考えた。

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イラストレーター 東城みな

萌えイラスト

(参照:) 以来、ここ1ヶ月ほどTwitterをチェックしているが、先日はNHKのサイトで「バーチャルYouTuber」の「キズナアイ」が採用された件が批判され、議論は多くの論者を巻き込んでさながら戦争のようになっている。 「萌えイラストは性差別だ」と主張するフェミニズムやフェミニズムに近い考え方をする人たちと、「イラストは性差別ではないし、オタクコンテンツを排除しようとするフェミは表現の自由に反している」と反発するオタク、またオタクを擁護する人たちとの溝は深まるばかりだ。 当コラムでは先月、「表現規制を支持するつもりはない」と前置きした上で、次のように述べた。 願わくば、そのイメージの貧困さを、消費する側の人たちから納得のいく説明として聞きたい。 議論がしたい。 あなたたちは何を欲望しているのか、いないのか。 私のイメージが貧困であるとすればなぜなのか。 表現の自由を許容しない「誰か」を、一方的に責めるだけでは前に進まない。 個々人が自分の言葉で、それぞれにとっての「自由」を定義しあう社会を、私は待ち望む。 私は巷にあふれる萌えコンテンツを、規制しろとは思っていない。 生身の女性を出演させるAVと違って、イラストは具体的な他者を傷つけている可能性があるとまではいえないからだ。 しかし、ある種のアニメ風タッチで描かれた女性像を見ると、嫌悪を感じるのも事実である。 この感覚は昔、男性に無理やりアダルトビデオを見せられたときの感じとよく似ている。 男性が理想とするような女性像があふれ、社会からの押し付けに感じられて自己を侵食してくる。 私にとっては抑圧的に感じられるのだ。 しつこいほどに主張したいが、萌えイラストの類は規制できないし、する必要もない。 しかしそういうコンテンツを好む男女と議論することで、私自身の萌え絵に対する印象は変わるのではないかと考えた。 かつて私は、「キャバクラ」という場所を性差別の権化のようなものだと忌み嫌っていたが、自分でキャバクラ嬢を経験し、そこで働く男女と話をした結果、キャバクラという場所が決して「性差別」の一言で片付けてよいものではないことが分かった。 またアダルトビデオに関しても、男性に無理やり見せられたときは性差別的な内容であると感じたが、業界に近い人やAVを好む男性、逆にAVは苦手だという男性にも話を聞き、出演者の方が書いたものを意識して読んだりするうち、男尊女卑と切り捨てるばかりでは思索が浅いと考えるに至った。 そうした考えから、私は、「私が抑圧を感じるコンテンツ」を好むオタクたちと話してみたかったのである。 早速、Twitterで以前から互いにフォローしており、かつリアルでも会ったことのある赤木智弘さんと白饅頭さんというお二方とやり取りをしてみた。 彼らはネットフェミニズムに強い反発を感じているようであった。 「オタクがなぜそのコンテンツを好むか聞きたいし、萌え絵などに対する私の理解が一面的であるならばその理由を説明してほしい」という私の主張に対し、赤木智弘さんは「なぜ好むのか話す必要はないし、議論も必要ない」との立場だった。 白饅頭さんは、「そういう釈明はオタクサイドが今まで何度も行ってきているが理解されなかった。 今はもう最終戦争の段階。 オタクに対してこれまで向けられてきた『気持ち悪い』という批判は差別の粋に達している」というような返答であった。 正直、目からうろこであった。 話をしても無駄だというのである。 特に白饅頭さんの発言は、一部論点をずらされた点はあったものの非常に勉強になった。 一部の女性が差別されてきたのと同じように、オタクもまた差別されてきたのだ。 私は今まで、自分が経験してきた女性差別や性暴力には敏感だったが、オタク差別に思いを馳せたことはあまりなかった。 確かに、中高生だった私の周りでは、オタクという言葉がイコール「暗いヤツ」という侮蔑の語彙だった。 今の若者は「陰キャ」というのかもしれないが、2000年代の前半頃はアニメや萌え系イラストを好む同級生が「オタク」と呼ばれ、蔑まれていたと思う。 彼らはスクールカーストの最底辺だった。 同じくスクールカーストの理不尽な抑圧に苦しんだ人間として、その苦しみは想像に難くない。 そういうトラウマがあるために、オタクたちは「萌えイラストが女性差別に感じられる」という世間の声に対し、ものすごい反発を感じるのかもしれない。 自分たちが排除されるという危機感。 差別され、気持ち悪いと蔑んだまなざしを受ける屈辱は耐え難いだろう。 オタク擁護派の発言からは、「表現の自由」という憲法上の権利を守りたいというより、自らの尊厳を守り抜きたいという意志を感じる。 自分が好きなもの、好きなコミュニティの尊厳を守ることは、当たり前の権利である。 彼らの反発心が少し理解できたと思うゆえんだ。 ただ、赤木智弘さん、白饅頭さんとのやり取りをする過程で驚いたのは、彼ら側に立つと思われるアカウントが大挙して私を「オタク差別者」「異常者」に仕立て上げようとしたことである。 Twitterでは「オタクに対し、無邪気に『なぜそのようなコンテンツを好むのか?』と話しかける時点で差別だ」とか、「黒人やレズビアンにも同じように話しかけるのか?」、はたまた「エロコンテンツから強姦のイメージを感じてしまうのは精神異常」など、論点ずらしのリプが沢山寄せられたのである。 中には単なる誹謗中傷もあった。 ただ議論しようと、特定の個人に話しかけていた女をボロクソに攻撃したくなるほど、オタク派の傷は深いのだろうか。 女である私が、その傷に触れることは許されないらしい。 ネット世論によると、オタクは私のような者に話しかけられるだけで嫌悪を感じ、深く傷つくそうなので、この話にはもう立ち入らない方が良いのだと思う。 ただ、これまで自分が無意識にやってきたかもしれない「オタク差別」だけは反省したい。 オタクの皆さん、傷つけてすみませんでした。 <文:北条かや> 【北条かや】石川県出身。 同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。 自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『』(星海社新書)で注目される。 以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。 著書は『』(星海社新書)、『』(青春出版社)、『』(宝島社)。 最新刊は『』(イースト・プレス)。 公式ブログは「」 あわせて読みたい•

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萌えイラストへの嫌悪感を示すと「オタク差別」になるという事実<北条かや> (2018年10月12日)

萌えイラスト

曖昧さ回避• 「」の連用形。 のが出る様。 、もしくはの特定の、に対して用いられる。 ではほとんど2. の意味で用いられる。 概要 元々はやの特定のキャラクターに対する強いを表すとして自然発生した言葉らしいが、からにかけて徐々に一般にも浸透した言葉である。 使うによってその意味や規模・範囲が違うが、多くは 「対象に対してたまらなくいとおしい」感情を抱くことを意味する。 「萌え」の単語の由来は諸説あるが(の記事参照)、遥か昔から「萌え」に相当する感情(の記事参照)や、何かを愛しく思う感情を芽が萌え出る様子、何かを愛でる様子を芽に水をやる様子に例える表現はあったとされている。 萌える対象はなんでもありだが、「萌え」は 女の子らしさを感じさせるもの、保護欲をそそられるものに使われることが圧倒的に多い。 例えば、少女、小動物、ファンシー・メルヘンチックなデザインなどの、一般的に綺麗、かわいいと形容されるものを連想されやすい。 またらマニアックな領域になると渋いオッサン、、系などに萌えを感じる強者も存在する。 専門的な知識を要する界隈だと世界観、雰囲気、無機物のように、キャラクター以外に使われることもある。 自分が萌える萌えないに関係なく、多くの人が萌えがちなデザインそのものを「萌え」ということもある(前述の萌え絵もその定義でできたもので、大きい目、華やかなアクセサリー、メイド服や巫女服などの、いわゆるステレオタイプに該当するデザインが挙げられる)。 やののキャラクターに感じる感情が「萌え」なのか「」(格好いいものに憧れて、心がエネルギッシュに燃え上がる気持ち)なのかはよく議論され、前述の美少女キャラに感じる「燃え」もわずかながらに存在しているという。 一般にもこの言葉が浸透し「萌え」という概念が「オタク」や「アキバ系」の代名詞となっていくにつれて、ネットスラングとしての「萌え」の利用は徐々に減少・敬遠されるようになり、2010年代後半以降はほぼ死語状態となっている。 現在のネット上では、「このイラストは萌える 動詞用法 」「萌え〜! 感嘆詞用法 」「メガネっ子萌え ポジティブな意味での付加語 」などと利用することは少なくなりつつあり、逆に「」など、 少なからず侮蔑的な意味合いを含む ネガティブな意味での付加語として使われる事がほとんどになった。 関連イラスト.

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