ミフ リグル トゥル ソン。 ウイグルの母「行方不明だった5歳の娘、SNSの動画で偶然見つけた」

遼東の豕

ミフ リグル トゥル ソン

科学者のさんが言っていた。 《が自国民をどんどん殺す。 それはなぜか?には神様がいないからである。 残念ながら「神様がいない社会」では、現時点ではまだ人間社会は構成できない。 》 「人を殺してはいけない」というのは宗教である。 これを世界の人々は意識するにしろ、しないにしろ、にもっていて、まともな人間は人を殺さない。 しかし、は「」で貫かれている。 神がいないので、党が必要でないと決めた人間は殺していい。 例えば、の高位にいる人間が肝臓疾患に罹った。 彼はのために役に立つ人間として認められている。 かたや教に帰依するがいる。 にとっては必要のない人間だ。 にとって必要なのは高位の員である。 神様のいない社会では、から肝臓を取り出して、員を救うことは「善」である。 そういう理屈で、は中国にしろ、にしろ、、東欧、で9200万人(『の黒書』より)の人間が殺戮された。 が未だに経済復活できないのは、国民の半分を頭のいいほうから殺した結果である。 優秀な頭脳を根こそぎ刈り取って、「」という亡国のに染め上げられた危痴害どもが国を主導すれば「こうなりまっせ」という典型事例になった。 少なくともを掲げて国を主導する体制はきわめて危険であることを日本人は知らなければならない。 warusyawa 夕べの飲み会が楽しかった。 それを書く前にちょっと情報をアップしておく。 「あいち」の「表現の不自由展」の経緯である。 この脳外科の先生が書かれた記事がまとまっていて、なぜ大村愛知県知事がダメなのかを解りやすく書いておられる。 高須院長がリコールに踏み切らざるをえなかった理由がスラスラと腑に落ちましたぞ。 さらに公金をだまし取って実施したこと。 その総責任者が大村知事であるにも関わらず、まったくことの重大性を認識せず、県民への説明からは逃げ回り、そのことを指摘したに対して訴訟を起こすという暴挙を起こしたことなどなど、これだけやっちまったら知事は辞めたほうがいい。 ワシャは大村知事のもっとも強固な地盤のところに生活圏をもっている。 だから周囲を見ると、熱狂的なシンパが多い。 ワシャのよ~~く知っている(笑)市議会議員は、やはり真っ直ぐな男で、一連の下品な大村知事の行動を嫌がって、知事の忘年会を欠席した。 そうしたら地元からの突き上げがもの凄かったそうな。 「次の選挙は出ないんだね」 「大村知事の応援は受けられないよ」 と、大村シンパのオバアサンから白い目を向けられたという。 でもその議員、魂を売ってまで選挙応援をしてもらおうなんて思っちゃいない。 「ああけっこうです」 と答えると、憤慨して帰っていかれたという。 おそらくこのバアサンに代表される大村シンパには、高須先生の声は届くまい。 届かないというか理解できないのである。 高須先生は、郷土愛を多量に持った人である。 その高須先生が、で生まれて、地元の西尾高校を卒業した知事を応援しないわけがない。 しかし、高須先生には人を見る目がある。 一度会えばその正体を喝破されたに違いない。 ただ盲信する信者にはなにも見えない。 あのですら、信者には色男に見えるんだから(笑)。 いかんいかん、「あいトリ」の話で盛り上がってしまった。 昨日のいい飲み会の話だった。 その前に、漫画の話をひとつだけ。 今、昔のコミックを読み直している。 『ZIPANG深層海流』()である。 これがいい。 12世紀半ばにが台頭し、でが権力を掌握する。 そこから「平家にあらずんば人にあらず」の全盛期があり、「おごれる人も久しからず」で、平家が壇の浦に消えて、その後にが幕府を開く頃までを描く。 の描くキャターはどれも魅力的で、幼き頼朝、は貴種としての威厳を兼ねながらも可愛らしいし、清盛も義朝も格好いい武将である。 も徳子も妖艶で可憐だ。 とくに好きなのが、5巻に登場するである。 こいつがなかなか強かな破戒坊主として描かれている。 まぁ日本史のスーパーヒーローの一人には違いないんだけど、かわぐちさん描く弁慶はさらに魅力的だ。 京の五条の橋の上、大のおとこの弁慶が、長いふりあげて~、のシーンで、弁慶が泣く。 これがいい場面だ。 男が泣く、それも豪傑が泣くのは美しい。 ここでようやく昨日の飲み会の話となる。 1年くらい前のことになる。 たまたま、駅前の歩道をで走っていたら、凸凹商事のOBの方とすれ違った。 自転車を停めて挨拶をすると、「おうおう久しぶりだな」と応じてくれる。 その人(Yさんとしておく)は、ワシャが凸凹の社外役員になったことを寿いでくれて、「また飲もう」と言ってくれた。 Yさん、現職の頃から豪傑だった。 ビールしか飲まないが、なにしろ宴席好きで連日連夜、仕事が終わると街に繰り出していく。 それが原因で、奥さんに離婚されたという強者である。 半年くらいして、Yさんと仲のいいOBから連絡があり、「Yさんから君も誘えと言われたんでね」ということで飲み会の日時を伝えてくれた。 しかし、残念なことに、その日別の宴席が入ってしまっていて、「申し訳ありません。 かぶってしまいました」とお断りをした。 それから半年がウイルスで潰された。 宴席が徐々に解除され始めた5月末に、またOBから連絡があり「Yさんと飲もう」と誘われた。 今度は空いていた。 前日、前々日と宴席があり、3日連続となるが躊躇なく予定に入れた。 飲み会は郊外ので行われた。 参加者はYさん、OB、ワシャ、それに現職の次長と課長(この2人が幹事ね)、OBのゴルフ仲間の女子社員という6人で鉄板を囲んだ。 Yさんがのっけにワシャに言った。 「ワシャくん、ありがとう、退職して15年も経つと、みんななかなか相手にしてくれなくてねぇ。 きみが来てくれてよかった」 と握手を求められた。 それから、Yさんは胸のポケットから「のし袋」を出すと、次長に手渡す。 次長は「なにこれ?」というような顔をしている。 「おお、お前の次長昇格祝いが出来なかったんで、気持ちだけだけど・・・」 と、表情を変えずに言う。 「あ!」 次長の表情が変わった。 クソウイルスのせいで、歓送迎会やお祝い会が一切できなかったのであった。 次長もこんなところで飲んでいる男である。 宴席好きには間違いないのだが、それがまったく3月以降、なにもできなかった。 もちろんYさんとの席もなかった。 ううむ、Yさん、次長への昇格をずっと心に留めておられたんですね。 そんな繊細な人物には見えなかったんですがねぇ(笑)。 Yさんの言葉を聞いて、次長は目頭を押さえて、後を向いた。 感激して涙が出たらしい。 そんなことで泣くような男じゃないんですけどね。 どちらかというと弁慶のような豪傑タイプの男で・・・ああ、で弁慶も泣いていた。 「そうか、豪傑は泣くのだな」、ちょうどその前日、『ZIPANG深蒼海流』の5巻を読んでいたので、そのことを思い出した。 のっけからいい話で始まった宴は、ずっと心がほっこりして楽しい時間となった。 warusyawa 昨日、いつもの読書会。 2カ月2度ほど延期になっているので、課題図書は3月に決めた門田隆将『死の淵を見た男』(PHP)であった。 本自体は平成 24 年に出版された本でいささか古いが、3月に「 Fukushima 50 」 が公開されるという話だったので、「こりゃ話題になるな」と古い本を引っ張り出してきた。 でも、肺炎の蔓延で映画館は閉鎖となり、一番盛り上がる時期を逸してしまって、話題にならなかった。 読書会は、午後6時半に駅前の会議室を借りて開催する。 ワシャ隣りの駅界隈に住んでいるので、6時 15 分くらいの電車で充分に間に合う。 だから5時過ぎまで仕事をして、それから自宅にもどって、本を鞄に入れて駅に向かおうと思っていた。 自宅に着いたのが5時 30 分、余裕綽々でんがな。 書庫に行って、現代ジャーナリズムの棚を確認する。 、、、門田隆将・・・あれぇ?門田さんの他の本は並んでいるんだが、『死の淵を見た男』だけがすっぽり抜けている。 あれれ、どうしたんだっけ。 そう言えば 3 週間ぐらい前に、棚から引っ張り出して、机に持っていったような記憶もある。 机の辺りか? このところ、など左翼系の体論を調べていたので、その関連書籍が机のまわりに堆積している。 新聞のコピーや資料のコピーも散らかっており、日日買ってくる書籍や雑誌も層をなしている。 机まわりばかりではない。 少し離れたところにもテーブルが3つあるのだが、その上、その下にも新聞、書籍、CD、筆記用具、などが積み重なっている。 ゴミ屋敷のゴミの代わりに本があると思っていただければいい。 運のいいことに本は腐らないので、その点だけは助かっている。 2週間に1度くらいは整理をするんですよ。 そのくらいの頻度で友だち(3歳)が遊びに来るので、散らかったままだと危険なんでね。 だが、今回は体論の調査や作文でかなり時間を喰われたために、その掃除が疎かになってしまった。 友だち 3歳 も来なかったしね。 というようなわけで『死の淵を見た男』は、この堆積の中のどこかにあるはずなのじゃ。 すぐに発掘作業を開始した。 発掘なんていう生易しいものではない。 で手当たり次第に掘り返す感じですかね。 はいつくばって、はいつくばって、いったい何を探しているのか?探すのを止めた時、見つかることもよくある話で、しかし必死に探している時には見つからないものなんですよね。 おおよそ堆積物はひっくり返したのだが、『死の淵を見た男』は出てこない。 もう、午後6時 15 分をまわっている。 仕方がないので手ぶらで読書会に出かけたのであった。 本は 1 日経っても出てこない。 この週末に本格的な整理整頓をするつもりだ。 warusyawa 昨日、会議が4つあった。 大きな会議が午前中に終わらず、午後にまでもつれ込んだ。 その後、女性役員が座長の小さな会議があり、その後、やや格付けの高い会議があり、4つめは社外役員の内内の打ち合わせがあった。 その経緯を話す前に、5月 26 日の日記に書いたざんとさんの達人同士のやり取りのことに触れたい。 さんが大阪の記者だったころ、売出し中のさんに原稿依頼をするために上京することがあった。 夕刊の連載小説に新田さんを起用したというのが、司馬さんのプランであり、それが採用されたので勇んでを訪問したのである。 当時、まだ新田さんはの課長だった。 仕事の合間に書かれた『強力伝』であっさりとを受賞されていた。 やっぱ、才能のある人ってのは凄いっすねぇ(泣)。 ワシャの気持ちなどどうでもいい。 司馬さんと新田さんのやり取りの話である。 司馬さんは社命で新田さんを口説くために東京出張をしている。 かたや新田さんはの仕事もあるので、を毎日書くほどの時間的余裕がない。 説得する司馬、断る新田の静かであるが火花散るやり取りは、司馬さんに言わせると「数学の講義のようでもあった」という印象のようだ。 そこの部分を引く。 数学の講義のようでもあった。 一年は三百六十五日しかないというのが、聴き手の私の唯一の数学知識である。 新田さんは、それを精密に区分した。 そのうちの睡眠時間と勤務時間をさしひいてみせたうえで、その残った時間が、創作の執筆の時間である、という。 ところがその時間に、現在予定している仕事の必要時間を入れると、ほぼ詰まる。 伺いながら、少し端数が残るようにおもわれた。 そのことをかぼそく指摘すると、 「それはですね」 新田さんは、かすかに微笑された。 「私は、若いころから、年に平均して四、五回は風邪をひきます。 ひくと、一回に四、五日は仕事に手をつけられない。 そのために予備としてそれだけの時間を控えておく必要があります」 体系美を感じさせるような断り方で、私はむろんひきさがり、店先の路上で別れたあと、どういうわけが、「詩三百、思ヒ邪(よこしま)ナシ」ということばが、脳裏にうかんだ。 以上、司馬さんの文章である。 書き写していると、心が洗われてくる。 ワシャにとっては写経のようなものですね。 なんか描き写さずに、司馬さんのエッセイを書き写す方がよぼど 文章の鍛錬にもなるし、精神衛生上もよろしかろう。 思想も柔軟になってくるよ。 そんなこともどうでもいいか。 書き写した文章の末尾のことである。 店先で別れたところまででよかったのだが、文章が切れておらず、「詩三百・・・」がうかぶまで書かざるをえなかった。 つまり、司馬さんは、新田さんの断りの説明に「偽りのない心」を感じ入ったということであろう。 このことは、ワシャの言いたいこととは関係がない。 蛇足である。 蛇足ばっかりですいません。 長くなっているが、この二人のやり取りには無駄がなかった。 「連載小説を受けられない」という自分の意志をとおすために、きっちりと 1 年を区分けしてみせた新田さん、その説明に隙間があることを指摘した司馬さん、そしてその隙間を説明しきった新田さん、さらにすっぱりと見切った司馬さん、やはり見事な人物は見事である。 ワシャはせっかちが服を着て歩いているような男なので、こういったやり取りがいい。 意志の疎通の早い人と話していると疲れないし、かえって楽しいくらいだ。 で、ようやく冒頭の会議の話に移っていくわけだが、会議内容は 15 分程度ですむ話だった。 それが 1 時間を超えてもまだ終わらない。 司会進行が慣れていないとこういう結果になると典型のような会議になった。 いつまで経っても話がまとまらず、それぞれのメンバーにコメントを求めても、それが整理できない。 時間はだらだらと過ぎていくばかり。 司会は悪い人ではないんですよ。 日常の社会であれば、まずいい人と言われる。 性格も温厚だし、控え目だし。 しかし、司会には控え目はマイナス要因であろう。 まな板の上の鯛を「アラサッサァ!」と捌いて、刺身にするそんな職人技が必要なのである。 だが、の社会になると、年功だけでそういった職責に座らされてしまう。 これは双方にとって不幸なことである。 会議は短めに、話は簡潔に。 ダラダラ長いのは牛の小便だけで結構だ! warusyawa 《神戸の「富岳」世界一 計算性能で史上初の4冠》 昨日の新聞各紙の1面はほとんどがこのニュースだった。 1 秒間の計算能力は、今までトップだったカの 14 京 8600 兆回を大きく上回って、 41 京 5530 兆回になったんだとさ。 という概念がすでに一般の人間からは完全に超越しており、 41 回、京都に行ったのかな?と思ってしまう。 そんなわけねえか。 でも、日本のがカや中国のそれを大きく引き離して、トップに立ったことは日本人としてやはり嬉しい。 名前を「富岳(ふがく)」と言う。 担当者は「高い性能と、広い裾野をもつことからそう名付けた」と披露した。 いい名前ではないか。 もう 10 年前だったか、当時、日の出の勢いだった今は亡きの行政刷新担当大臣が、のパフォーマンスで「なぜ世界一じゃなきゃダメなんですか?」と担当を責めていたのが懐かしい。 その仕分けの女帝がこう言い訳をしている。 《氏「努力に敬意」 「富岳」世界一で》 「速度が世界一になったとしても、使い勝手が悪ければ使われない。 スピードばかりにこだわる理由を問うた」 ものは言いようですな(笑)。 でも一番を目指さないと、ほら、も瓦解して、その後のも、氏が目指していた二番になっちゃった。 さらに使い勝手が悪いから、支持率はどんどん下がっていく。 ご愁傷様。 そうそう、ワシャは平成 22 年に氏が出版した『一番じゃなきゃダメですか?』(PHP)を本人のサイン入りで持っている。 今となっては、とても興味深い 1 冊となった。 のことも書いてあるし、自身の経歴なども載せている。 中でも笑ったのは、あのの情報発信にはがからんでいたんだとさ。 ふうむ、これでなんとなく絡まった糸がほぐれたなぁ。 あの親中のが、に支持を出し、枝野がをメインキャストにすえて、津田に情報を拡散させる。 それで日本の科学技術に大きく貢献するはずの、の足を引っ張って、製のコンピューターが日本の上を行ったわけやね。 《世界 4 冠の「富岳」 基本姿勢は「 2 位になっても仕方ない」だった》 なんとかアホな政党が瓦解して、日本のは生き延びた。 そして新型のの対応、新薬の開発など、広い裾野でどんどんと働いてくれえ。 、政権が続いていて、氏が行政刷新担当大臣を務めていたら・・・と思ったら背筋が寒くなった。 がんばれ~日本。 warusyawa 「」である。 京都のような狭い路地で、雨の日に互いの傘を外側に傾け、相手が濡れないようにすれ違う仕草のこと。 他者を慮った美しい行動である。 最近あったことだ。 ワシャが自家用車で信号交差点を左折しようとしていた。 歩行者用の信号が点滅を始めた。 そこに若いんだか中年なんだかよくわからないニーチャンが、歩道にのそのそと進入してきた。 点滅してまっせ~。 おっと赤になってしまった。 しかしニーチャンは急ぐわけでもなく、ワシャの車の前をゆっくりと歩んで行かれる。 それは違うんではないのかい?少なくともオメーが車を止めている。 例えば会釈ひとつするとか、ポーズだけでも足早に歩くところを見せるとか、オメーひとりの道路じゃねえんだぞ! ワシャは歩行者用信号が青でも、停止して待ってくれるドライバーには会釈をして小走りに歩道を渡る。 自転車でもそんな演出をする。 自分の行動が他者に迷惑をかけていると思えば、会釈して通るのが当たり前ではないか。 江戸の「傘かしげ」と同様に、令和の「歩道会釈」これを提唱したい。 ワシャは外国人が日本に住むことになんの異議も唱えない。 過激というかアホなのよう連中は外国人と言うだけでヒステリー症状を示すけどね。 例えば評論家の石平さんは中国の出身だし、の李相哲先生はの出身である。 お二人ともを取得され、日本人となられた。 日本語は流暢に話されるし、なによりも日本を、日本文化を、日本の歴史を愛してくれている。 こういった外国人なら大歓迎で日本に迎えたい。 翻って、元北京放送のアナウンサーだった張景子や教授のなどである。 彼らは日本で生きていながら、を擁護し、賛美をテレビの中で騙っている。 何度、話を聞いても「これは日本のためにならない」と思えてしまう。 こういった外国人はぜひ母国におかえり願いたい。 先日、地元の市役所に行った。 上階に用があってエレベーターを待っていた。 「チン」となってドアが開く。 中に人が乗っていた。 黒人だった。 身長はワシャと頭一つ違っていたから 190 センチはあったろう。 漆黒の太い腕が剥き出しになっていて、かなりごつい。 柔道、拳法の達人(笑)のでも、ちょっと恐い。 これが華奢な男や、女性だったらかなりの威圧感を受けるだろう。 もちろんめちゃめちゃいいヤツかも知れない。 けれど肌の色の差、とくに大きな黒人には、小柄な日本人が一歩引いてしまうのはいたしかたあるまい。 それでもワシャは日本である。 ぐいっとエレベータの中に進入した。 黒人が中央から動かなかったので、壁際に張り付くようにして乗って降りたのだった。 それに比べると、先日、であった人なんかは小柄で、そういった怖さは感じなかったが、大声で母国語を放つのは耳障りだ。 日本人と言えども、交差点待ちで他の人が周囲にいるのに、喚き立てるのはいかがなものか。 郷に入ったら郷にしたがえ。 狭い通路は傘をかしげて行き交えということである。 それが理解できない外国人は日本に来てくれなくていいし、それが解からない日本人も、どうぞが蔓延った国や、自分の家族しか眼中にない国柄のところへ行っておくんなまし。 なんでこんなことを思ったかというと、昨日、仕事帰りにいつもの本屋によって、本を何冊か買ってきたのだった。 7つの短編から構成されていて、「蛇の目」という話がおもしろかった。 『佐武と市』シリーズは雨のシーンが多いのだが、この話は 32 ページ中4ページしか雨がやまない。 28 ページは雨の中のドラマである。 だけどじとっとはしないんですね。 しんみりとしたウエット感とでもいうんでしょうか、そんな余韻を残す名作でした。 ここから「傘かしげ」が過ったんでござんす。 warusyawa 土曜日、あるプロジェクトの打ち合わせで、久しぶりに名古屋へ出かけた。 このところ、結構、まじめに自粛していたからね。 指折り数えてみたら、6日ぶりの名古屋だった。 どこがまじめに自粛なのじゃ! いえいえ、公共を使っての名古屋は3ヶ月ぶりであります。 我が家には高齢者も、チビチビもいますので、ワシャが感染地域に行ってウイルスをもらって来ると大変ですからね。 ということで、名古屋に行くときには、自家用車で行くことにしておりました。 6日前も車でまで出かけていた。 もちろん、往復とも自動車なので誰ともしない。 訪問先で何人かの知人としたが、ソーシャルディスタンスを守り、会話も10分程度だったから大丈夫。 で、3ヶ月ぶりにに出たのである。 安倍首相が18日に移動自粛の全面解除を表明したから、どっと混んでいると思っていた。 しかし、行きの電車から、車両は空いていて、ワシャの隣りのシートにも大府まで誰も座らない。 ようやく大府で、性が座ったのだが、金山で降りてしまったので、また名古屋まで一人で2シートを占用していた。 暇だから車内を観察しましたぞ。 ううむ、マスクの装着率は8割くらいか。 いかつい中年のオッサンがマスクをしていなかった。 それに、若いネーチャンが4人マスクをしていなかった。 化粧の具合やファッションを見るに高校生だな。 ベタな口紅の塗り方といい、足の剥きだし方といい。 なかには、取ってつけたような高いヒールのつっかけ? すいません、若い娘のファッションにはとんと疎くて、履物の名前がわかりません。 明らかに高校生じゃなきゃ履かねえだろうというヘンな履物ですな。 そんなのを履いて楽しそうにしている。 しかし、ノーマスクなのである。 ワシャの乗った車両だけの話なので、なんの説得力もないけれど、若い子たちはもう脱コロナ走っている、そんな気がした。 さて、。 ガラガラ・・・ではなかった。 ガラくらいの印象だ。 北の改札から出たんだけれど、コロナ前の土曜日とは明らかに違う。 しかし、速足で歩くと、人とのに気を使わなければいけないくらいには人が出ている。 あるプロジェクトの打ち合わせは、のキッテ の地下で行われる。 これは毎回一緒である。 概ね月に1回ほどは開催しているのだが、ここ3ヵ月ほどは「Zoom」でやっていた。 久しぶりのリアル会議だった。 からキッテまでそれほどの距離はないのだが、人通りは閑散としている。 キッテの方にまで流れるほどには人出がないようだ。 キッテ南の交差点で信号待ちをしているのは、ワシャの目の前に家族連れ4人と、横に人の男女4人、背後に数人の日本人がいたくらいですわ。 ガラっとした感じですね。 キッテの地下に入っても、唯一ワシャの仲間が1人立っているだけ。 いつも打ち合わせをしているお店は、ここはガラガラ。 収容人数は130人の店なんだけど、客は数名。 ワシャらは5人なんだけど、10人席に案内されて、広々とした空間での打ち合わせとなった。 その後、客も増えて、それでも2割も座っていただろうか?いつもなら満員なんですけどね。 打ち合わせは順調にまとまり、東京から来ているメンバーが会議のために帰っていったので、ワシャも席を立った。 少しをうろうろとしてみたが、じゃなかったね。 岐阜駅がくらいの感じかなぁ。 なにしろこの災禍の経済危機から立ち直るのはかなり大変そうだ。 それでも昨日、栄周辺では脳天気な連中がに踊らされて、100人くらいが密接してのデモ行進をやったようだから、バカから兆しは見えているようだ(笑)。 BLMの愚挙についてはまた明日にでも。 warusyawa.

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[B! 中国] 私の身に起きたこと ~とあるウイグル人女性の証言~|清水ともみ|note

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監視下の取材で見た涙 ウイグル族の女性「私は中国人」:朝日新聞デジタル

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朝日新聞以外に米ロ韓シンガポールの各1社と中国メディア4社が参加。 取材先として、イスラム礼拝所(モスク)やバザールなども組み込まれた。 取材は政府・党関係者の監視下で行われ、記者の質問を制限したり、取材相手の応答を遮ったりしたことはなかったが、自由行動は認められなかった。 記事の検閲は受けていない。 繰り返し「党と政府に感謝」 ヘッドホン型のマイクをつけて現れたママト・アリ学長(45)は、「指導の狙いは法律を知り、標準中国語を学び、職業技術を身につけること。 宿舎内では携帯電話の使用を認めている。 週1回の帰宅も可能だ」と説明した。 案内されて教室に入ると、灰色ジャージーを着た26人が社会福祉に関する法律を学んでいた。 教科書を熱心にノートに書き写していたウイグル族の女性(28)に声をかけた。 近くの村の出身で、入所9カ月目だという。

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